しあわせについて考えてみるのだった

10年以上前、「なぜ最近ハッピーということばかり考えるんですか」という質問に矢沢永吉さんは次のように答えていた。

あのね、40くらいになったら、「自分ってどういうやつなんだ?」って考えるじゃないですか。僕はね、なんでこんなにがんばって走ってこられたのかと思ったの。それはね、なにか一つ掴んでカタチにしたら、すべてが解決できると思ったから。僕はずーっとどこか寂しかったんだけど、その寂しさも、成功したりお金持ちになったら、全部クリアできると思ってた。みんなが振り向いてくれるこの位置にまでいけたら、不安な部分も全部クリアになると思ってた。ところが、ちっともクリアにならなかった。飯が食えるようになって、いい車転がして、俗にいう表面的な成功というのは、27で手に入れましたよ。だけど、ちっともハッピーじゃないの。なんで? 神様、僕に言ったじゃない、成功手に入れたら、今までの不安なこともクリアにしてくれるって。「なんで?」って思ったとき、「気持ちがいい」とか「ハッピー」というのは、別のレールがもう一個あって、それは仕事で手に入れたり、成功で手に入れるものではないんだ、ということに気づいたんですよね。そのときからです、「幸せって何だろう?」って真剣に考え始めたのは。


いまさらだけど、ぼくもよく考えるようになりました。しあわせって何だろう、って。矢沢さんは「それは仕事で手に入れたり、成功で手に入れるものではないんだ」って言ってますが、イスラエルで栄華を極めたソロモン王も全く同じことを言ってます。ソロモン王は一つの結論を得るのですが、それはわかる人にしかわからない究極の答えでした。