予は君を失念しゐたり

夕方やってきた常連のお客さんとコーヒーを飲みながら話していたら、「付き合ってる連中と友達の違いってなんだろうね」などと彼が言いだした。めんどうなことを言いだしたな、と思いつつ、ふと佐藤春夫のエッセイを思い出したのでその話をした。春夫少年が小学生のとき、先生が「君たちが持っている友達を5~6人書いて提出せよ」と言った。しかし春夫少年は友達と呼べる存在を思い浮かべることができず、困ってしまう。しかし何も書かないわけにはいかず、自分の席のまわりの連中の名前を書いて提出した。休み時間になったとき、後ろの席の少年が「君はだれを書いたんだい?」と笑いながら聞いてきた。そこで春夫少年は「君の名前を書いたんだ」といった。すると、後ろの席の少年は絶句し、「許してくれ、ぼくは君のことを忘れていた、たくさん友達がいるものだから」と言った。このエッセイで佐藤春夫さんは言う。今でも彼のこの正直な一言に無限の友情を見出すのだと。
という話を彼にしたところ、「ぼくが小学校の時、同じことがあった」と言いだした。春夫少年と同じように、先生に言われ、友達の名前を数人書いて提出したのだそうだ。休み時間に「ぼくは君の名前を書いたよ」と友達に言ったら「君と僕は友達なんかじゃない」って言われたという。

著作権が消滅しているはずなので、青空文庫にこのエッセイがあるんじゃないかと思って探したけど見つからなかった

佐藤春夫  好き友

私の交友は誰々かとお尋ねになるのですか。貴問は私を怏々とさせます。私には友達といふものがないからです。それは私の孤独な、人と和しがたい性格から来てゐるのでせう。どうもさうらしい。
考へて見ると、私には少年時代の昔から友達といふべき者はなかつたやうな気がします。私が十二歳の時、私はちやうど、今日貴社から与へられたと全く同じ質問を、小学校の先生から与へられたことがありました。その時も私は今日と同じやうな不愉快を感じました。
その時先生の質問といふのは、生徒たちの学校外での生活を知るために、各の生徒たちが持ってゐる友達を五六人数へ上げよ、といふのであつた。雨の日の体操の時間で、雨天体操場などのあるべき筈もない田舎の小学校では時をり、そんな機会にそんな事をする時間があつたのです。先生が紙をくばつてくれると、生徒はそれへ返答するのです。人に見られないやうにと肘でしつかりと囲をして、それぞれに小さな頭と胸とを働かせながら書くのです。割合に自由な時間なので、いつもこんな時には、私は楽しかつたものです。一番好きな歴史上の人物は誰だとか、或は誰でも教壇へ出て面白い話をしてみよとか、つまり雨の体操時間といふのは遊びの時間だつた。それだのに、その日は何だか試験の日のやうに緊張した感じがあつた。私はといふと、試験ならば即座に答へてしまへるものを、この日のこの質問には本当に悩まされた。答へようにも私にはひとりも友達らしいものはなかつたからである。
しかし、ひとりも友達がなかつたと言つて、私は人に馬鹿にされて相手になつて貰へなかつたのではない。却つて私は人に畏れられてゐたのである。私は大人びた子供で学科も不出来ではなかつたし、私の家は医者だといふので田舎町の純朴な人たちは尊敬してゐてくれた。さういふわけで、小さな我々の仲間までが、私をへんに畏敬する風があつた。それに私は、いつもひとりで遊んでゐる無口な子供ではあつたし、誰も用事の時の外には、気軽に口を利いてもくれなかつたのである。それを、私はふだんは大して不幸にも思つたのではない。しかし、今日かうして、お前の友達は誰々だと問はれると、直ぐに答へ得る名のないのを淋しく思つたのです。その上、私は先生に向つてきつぱりと友達はひとりもないと書くことは出来なかつたのです。どうしてだか知りません。いろいろと考へた末で私は、教室に於ける自分の座席のぐるり四五人の子供の名を順々に書き並べたのです。何故かといふのに、その子供たちが、さういふ位置に置かれた自然の関係として、自然と、最も多く私と口を利く機会が多かつたからでした。
その時間が過ぎてしまつて、自由な時間が来た時、子供たちは、今のさつきの先生の質問をさも重大な事件のやうに話し合つてゐた。彼等は皆、人々に、俺はお前のことを書いたといふやうなことを言ひ合つてゐた。しかし、私に向つてそんなことを言ひかけた者はひとりもなかつた。すると、いつものやうに黙つてゐる私のところへ来て、ひとりの子供が話しかけた ──
「あんた。誰書いたんな?」
その子は快活な口調で言つた。それは教室で私のすぐうしろに居た子供であつた。きさくな性質で、気むづかしげな私に対しても常から最も多く口を利いてゐた。彼に対して私は答へた ──
「おれはあんたの名を書いたんぢや」
その答へとともに、彼のはしやいでゐた顔は一刹那にがらりと変化した。しばらく無言だつた彼は、やつと私に言つた。──
「こらへとおくれよ。なう、わあきやあんたをわすれたあつた。わあきやあ、ぎやうさんつれがあるさか」
二十年を経た今日、彼のその言葉を、私はそつくりとその田舎訛のままで思ひ出す。さうして私は彼のこの正直な一言に、今も無限の友情を見出すのです。ひよつとすると、これが私のうけた第一の友情ではないかとさへ思はれるくらゐです。
貴問に対して私は、仮に三四の名を挙げることも出来るでせう。しかし、その人たちが数へ上げた名のなかには私が無かつた時に、彼等は私に対して、果たして、
「恕せ、友よ、予は君を失念しゐたり。予は多くの友を持つが故に」
と、さうはつきりと私に言つてくれるだらうか。どうも覚束ないやうな気がするのです。
    ───────────────
或る時、私は、或る雑誌社から『吾が交友録』といふ題で一文を求められた時、それに答へようと思つて以上のやうな文を書いた。しかし、あまりにひねくれた言ひ分だと人が思ひはしないかと思つて、書いたままでそれをまるめて、屑籠のなかへ入れてしまつた。