昨夜

おととい退院した妻は薬を飲んで眠っている。薬が効いているせいか眠りはとても深い。ぼくは作業部屋で明日の仕事の準備をしている。ラジオから流れる女性ジャーナリストの話を聞くともなしに聞きながら、コーヒー豆の選別を行っている。産地から送られてくるコーヒー豆を麻袋から取り出し、盆に広げ、腐れ豆や虫食い豆など、問題のあるコーヒー豆を一つ一つ指で取り除く。時間のかかる地味な作業だ。時計を見ると早や10時を回ろうとしている。作業を中断し、明日の夕食の材料を買いに出かける。近くのスーパーが11時まで開いているので助かる。帰ってまた作業を続ける。作業が終わり、茶碗を洗って米を研ぐ。BGMがあれば、こういう作業も意外と楽しい。昨夜はモーツァルトのレクィエム、今夜はドヴォルザークの9番を選んだ。マーラーの9番をかけたいが、残念ながらCDがない。F少年は持っていないかな。日付が変わった。屋上に出てみると、霞のかかった夜空にきれいな満月が浮かんでいる。風が涼しくて心地よい。ここのところ、作業が忙しくて酒を飲む時間がなかった。今夜もさっさと床に就きたい気分だ。でもこの月はどうだ。流しの戸棚を開き、いつもならバーボンを選ぶところを、先日娘が持ってきた焼酎をチョイス。魔王と三岳。ぼくは魔王を手に取った。愛することは、この世の中に自分の分身を一つ持つことだ。それは自分自身に対しての顧慮が倍になることである。これは吉行淳之介の驟雨という作品に出てくる言葉。酒を手にして月を見ていると、そこにもう一人の自分が映しだされる