ぼくの祭り

だれがそうしているのか知らないが、イヤな天気が続いている。まるで世界のネジを逆に巻いたような空だ。こんな日は、そう、踊るに限る。
おどろよBaby !
Dance!Dance!Dance!
踊れ、狂ったように
  —————————-
 考えてみると、常識というものは、人間の意識が元型の侵入を受けて混乱しないように、長い歴史をかけてつくりあげてきたようなものである。しかし、近代までは人間は常識のみならず儀式や祭りなどによって非日常の場を設定し、元型との対応をはかってきた。 — 中略 — しかし、近代になって自我=意識を尊重するあまり、そのような儀式や祭りを非合理なこととして排除したり、拒否したりしてしまった。その結果、元型的イメージが日常の世界において突如として個人に襲いかかるようなことになってきたのである。集団的な祭りをできなくなった現代人は、このために、個人として個人の祭りを日常生活を保ちつつ行うという難しい状況に立たされることになった。
 河合隼雄著「イメージの心理学」 イメージと元型 より引用

“ぼくの祭り” への8件の返信

  1. エントリーと全然関係ないオッパッピーなコメントでごめんなさい。
    有機栽培の豆はどこのもスッキリしすぎてて物足りないのですが
    スプーンさんとこでいただいたのは深みが有りました。どうしてですか?(超素朴な疑問)

  2. 非常に難しい質問ですが、答えてみましょう。
    ほかならぬマスターのマジメな質問ですし。
     答え 深く焼いたから。
               — 念のための解説 —
    深く焼く、とは、比較的高温まで焼き上げるということです。簡単に言うと、かなり焦げている、ということです。この焼き方は苦味が幅を利かせ、酸味が少ない分、こくのある深い風味となります。
    一方、コレに対し、浅く焼くと酸味が残っているので、さっぱりした風味になります。ぼくみたいに。

  3. 私もFさんに賛成ですが甘酸っぱいのは加齢臭の可能性が高いです(笑)
    では深煎りであるはずのマンデリンがスッキリしていたのはどうしてですか?

  4. Q 深煎りであるはずのマンデリンがスッキリしていた
    よくある簡単な質問ですが、答えてみましょう。
    A マンデリンは女のように気難しい豆です。経験を積んで、その心を知らねばなりません。女の扱いに不慣れな人には向かない豆といえましょう。
               — 念のための解説 —
    人といっしょで、マンデリンにも色々な事情があるのです。具体的にいいますと、ほかの珈琲に比べ、ドリップ時の湯の保持力が弱い時がママあり、湯がさっと落ちてしまうことがあります。そういう時は、蒸らし時間を長くするとよいでしょう。そうして抽出時間の合計を2分40秒くらいに調整してみてください。

  5. あ…すみません。私の表現が悪かったです。
    深みはあるものの後味がスッキリとキレがある。
    それは焼く時間が関係しているのかな?と思ったんです。
    また今度スタンプ押して貰う時に教えて下さい。

  6. そうですか。
    当店のマンデリンの価格札には、次のようなキャッチコピーが記されています。
     「切れのいい苦味。コーヒーのスーパードライ!」
    切れのいい苦味。 フッ、まるでぼくみたい

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