残り少ない正月休みを無駄なく過ごそうと、きょうは一見、無駄に見える時間を過ごすことにした。コーヒーを淹れ、食堂のイスに寝そべり、年末にF少年から借りた本をぼんやりと読みはじめた。読み進んでいくと、エドワード・グレイという英国の人が、人間が幸福である条件としてこんなことを言った、と書いてある。
第一、自分の生活の基準となる思想
第二、良い家族と友達
第三、意義のある仕事
第四、閑を持つこと
「閑を持つこと」が、人間が幸福である条件に入っている。堂々と。この本の著者(阿川弘之)もこう言っている。「これらの条件の中で、閑を持つ事、というのは人はそれ程大切な条件と思わず、見落とすかも知れず、面白く思った」
ぼくは時々思う。この瞬間瞬間、確かにぼくはぼくなのだけど、そのぼくとはいったいなんだろう、と。どこかの国に「自分を知るには一生かかる」という諺があるのだが、おそらく自分というヤツは一生かかってもわからない。人は自分がわからないまま一生を終える。ここでいう「閑を持つこと」とは、自分を客観視する視座を確保することではないだろうか。つまり、いつも自分に向かって問いかけ続けること。自分と対話すること。そんな、閑人じゃないとできないことをすることが、自分を自分でいさせることであって、すなわち、人間として幸福である条件のような気がする今日この頃なのです。
なに書いてるんだろ。おれって閑かも。
“正月モード三日目” への6件の返信
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もう4日ですが、あけましておめでとうございます。
そうですね、やはり人間自分を見つめる時間と言うのが必要ですよね。田んぼの端っこでボーっとしながら虫が来るのを待ってみたり、鳥のさえずりを聞くとはなしに聞いていたりしながら過ごす時間も自分にとっては大事だなと。
まあ、あまり閑がありすぎると逆に自分を見失ってしまったりしますが(笑)
あ、うちのブログにコメントしたのが消えたのは、テストサイトのほうにコメントをしたためだと判明しました。ってか、なんでテストサイトに入って来れたんだろう?謎です。
rogiさん、あけましておめでとうございます。
ぼーっとしている状態って、車で言えば、ギヤがニュートラルに入ってる、あの感じですよね。あ、rogiさんはマニュアル車に乗ったことないかな。ぼくは休みの日、コーヒーをポットに詰めてドライブするんだけど、例えば、だれもいない海のほとりに座って、コーヒー片手にぼーっとする。もちろん、わざとぼーっとするわけじゃないけれど。そんな時、自分の無意識と、その周囲の間で、言葉を介さない会話が起きてるような、そんな気がしてます。なんか、ジジ臭いけど(笑)
あけましておめでとうございます。
そうですか閑ですか。
「小人閑暇して不善をなす」という儒学の教えもありますが、スプーンさんは「大人」ですから大丈夫でしょう!
普通、正月は閑ですよね。二日から大掃除初めをするところなんざぁ~やっぱり大人ですね。
お大尽とも云われます
ナスがママさん、あけましておめでとうございます。
やっといい天気になりましたね。どこかに行きたい気分なのですが、とりあえずコーヒーを一杯飲んで行き先を考えることにしようと思います。子どもの頃のことですが、近くの禅寺の僧が長い時間座禅を組んでいるのを見て、時間の無駄、閑なオッサンたちだなぁ。と思ってました。ああいう時間の使い方って、ちょっと理解を超えているというか、特殊な感じがします。閑というわけじゃないんでしょうけど。最近、不善を為す坊さんが目につくような気もしますが(笑)
ところで、「小人閑居して不善をなす」は、一般に、「器量の小さい人はひまでいると、つい、よくないことをする(広辞苑)」。という風に使われてますが、下のリンク先が指摘しているように、それは誤りとされ、ちょっと使いづらい言葉であるような気がしています(笑)
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/bknk/kotonoha.html#2
スプーンさん、さすが物知りでいらっしゃる。
おっしゃる通りでございます。
わたくしメの書き込みました文は、普及版の解釈ができますよう「居」を「暇」に直したところでございます。というより「閑」を「暇」にすべきでしたかね?
ありゃ、ホントだ! よく見たら閑居じゃなく、閑暇だ。
さすがナスがママさん、抜かりがない[E:shine]
結局、今日はどこにも行かず、珈琲を飲みながら本を読んでました。
もちろん、エロ本・・・ じゃないですよ[E:smile]
あーあ、明日から仕事。 朝起きるのがつらいかも。
しょぼ~ん