おもしろいもの

ほんの一時期だけど、テレビゲームにハマったことがあった。もう10年近く前。今のテレビゲームはもっとおもしろいのだろうと思う。人の脳には退屈を嫌う性癖がある。たとえば人は長時間、何もない狭い部屋に閉じ込められると幻覚を見るようになる。ぼくは巨大な虫の幻覚を見て死ぬほど驚いたことがある。これは、脳がありもしない像や音を勝手に創作し、それを外部からの情報として自らに知覚させることで起こる現象だ。脳は自らを退屈から救うために一人芝居を打つのである。自分の持ち主を驚かせて喜ぶなど、まったく奇妙なふるまいであるが、それほどまでに脳は退屈を嫌う。子供はじっとしていない。退屈が大嫌いだ。脳が活発に活動しているからである。ぼくが子供のころには、テレビゲームなんてなかった。退屈退治のために、山や川に出かけなくてはならなかった。そこには予測不可能な危険が常に待ち受けていた。野良犬、毒虫、蛇、がけっぷち、高波、ジョーズ。退屈退治は命がけであった。カアチャンに見つかったら大目玉を食らうからである。しかし、もし当時、ぼくの家にテレビゲームがあったら、どうだっただろう。ぼくだって、母親に大目玉を食らってまで洞窟探検や、遊泳禁止の海で遊んだりはしなかっただろう。スイッチを入れれば、簡単に退屈をしのげるのだから。洞窟探検や遊泳禁止の海は、まさに死ぬほどおもしろいのだが、現場に達するまでの手続きが面倒であった。不良仲間を募ったり、理科室から太いローソクをネコババしなくてはならなかったのである。脳は性急である。待つのが大嫌いだ。そこにいくと、テレビゲームは手軽だ。スイッチポン、ですぐに佳境に達することができる。しかし、ここにワナが潜んでいる。洞窟探検や海遊びは下手をすると死ぬ。テレビゲームは、なかなか死ねない。リスクのない遊びは死んだ遊びだと思う。だったらどうするか。たとえば、勝ち負けを競うなら、金を賭けるのである。罰ゲームを準備するのである。するとどうなるか。PTAが騒ぐのである。母親が怒り狂うのだ。想像しただけで恐ろしい。そういえば、河合隼雄は日本は母性の国だ、といっていた。と、ここで、話しが脱線しているのに気づいた。ぼくはナニを言いたかったのか。テレビの話しであった。さっき、あきこさんのブログを読んで、思わずこんなことを書き始めてしまったのである。おそらくテレビは日本の子供や奥様たちの退屈を救っているのだと思う。見かけ上の平和はこのようにして保たれているのだ。たとえば奥様の場合、ダンナといるより、テレビを見てるほうがずっと楽しい。かもしれない。こう書くと、ダンナに問題がありそうだが、そうともいえない。どう見てもテレビ相手じゃダンナが不利である。テレビは妙にやさしくなれなれしい。笑わせるのも得意である。スイッチポン、で、文句も言わない。そこでぼくは言う。奥さん、テレビを消してください。するとどうなるか。強力なライバルがいなくなることで、とりあえず、ダンナが浮上する。おもしろく見えてくる…可能性は…やっぱりないかもね。

“おもしろいもの” への8件の返信

  1. 脳って退屈が苦手なんですかー!
    おもしろいですね~。(^.^)
    良い意味でとらえれば、ずっと成長できるって事ですよね?違うかな?(^^ゞ

  2. ねこみちさん、こんばんは
    そうですね、成長と退屈は密接な関係にあると思います。たとえば、ねこみちさんが飼ってらっしゃるネコちゃんはどうでしょう。ネコは、ある程度成長すると、おとなしくなってきますよね。でも、成長過程にある子猫は、寝てるとき以外、ほとんどじっとしていない。目をきょろきょろさせ、動きのあるものを見つけると、危険を顧みず飛びかかっていく。身辺に起こる(起こす)事件の分析と処理、つまり学習を積極的に行っているわけです。ネコが退屈を自覚するかぼくには分かりませんが、おとなしくなった時点、つまり退屈が平気になってきた時点で、成長は止まったといってよいかもしれませんね。

  3. えっ???おとなしくなった時点って・・・。うちのみいは寝てばっかりなんですけど・・・(爆)。がはは。てっきり年のせいばかりだと・・・^^。
    ちなみにみいの飼い主である、私は・・・。人と会うとテンションがあがり、しゃべりまくります^^;。困ったものです(苦笑)。みいが私の飼い主なのか、わたしがみいの飼い主なのか・・・。うふふ^^。

  4. ネコのみいちゃん、みいのすけさんがグッスリ眠っている間に活動しているのかもしれませんよ。だから、みいちゃんも、みいのすけさんに対して「ご主人たら、寝てばかりいる」と思っているかも。
    人と会ってテンションが上がり、しゃべりまくるのは、ある程度しょうがないですよね。でも、このまえの新年会での、みいのすけさんとの会話は明るく弾んで楽しかったですよ。

  5. 今思えば、小さい頃、ボクも危険なコトばかりしていました。
    少し前、武岡の防空壕(元・ウチの近所)で中学生が中毒死するという事件がありましたが
    あんなコトは日常茶飯事。下校時・休日は必ずと言っていいくらい“秘密基地”で遊んでいたし
    死に直面した危険な場面にもしょっちゅう遭っていました。
    それでも、ホントに毎日が楽しかったことを思い出します。
    時代は変わって、今はそんな“危険”な遊びは許されないご時世。
    家でゲームをやっている方がよっぽど安全だと思うのか
    子供が「欲しい」と言えばポンポン新しいゲームを買い与え、甘やかし放題の親・・・・
    そして
    “気に食わない人生ならリセットボタンを押せばいい”
    “自分の気に食わない奴は消してしまえばいい”
    そんな考えを持つ子供が生まれてくる。
    “リアルとバーチャルとの境がわからない”
    そんなアホな人間に育っていく。
    ヘンですよね。
    親もそうだし、先生もそう。
    みんながみんな、そんな育ち方をしてしまったせいでしょうか。
    子供が子供を生んでしまい、ママゴトのように育てる・・・・
    そんな風に見えてしまって仕方がありません。
    (例によって)中途半端で、自分の言いたいことを上手く表現することができません。
    “戯れ言”と、軽~く流してください。(ベロンベロン状態)

  6. ロビさん、こんばんは
    ぼくらが子供だったころは、親たちも仕事や家事に忙しく、ケッコウ放ったらかしにされてましたよね。ほとんどの親が金持ちじゃなかったので、小遣いだって1日20円くらい。もらってない子供もいました。テレビゲームもないし、子供同士で自然を相手に遊ぶのが一般的だったように思います。親にしてみれば、子供に何か買ってやりたくても買ってやれない。それが実情だったような気がします。少なくとも、わが家はそうでした。あ、巨人の星を思い出しません?星一徹のチャブ台がえしとか(笑)
    遊ぶものがなければ自分で作るしかなかった時代。あの時代が良かったかというと、どうなんでしょう。金や物がなかった時代。今の社会をあの時代に戻すのは大変難しいことだと思います。病的に複雑化してますから。たぶん、もう、戻れないでしょうね。できるとしたら、単純な社会に引っ越すことでしょうか(笑)

  7. 長男を引っ張り出して(最近は引っ張り出されて)野いちご採り 虫採り 魚採り(釣り含む) 山栗採り シイの実拾い ムベ採り メジロ採り 貝採りナドナド…おもしろいもの連発中です。おかげさまで指を3針縫うは オオスズメバチに刺されるはと大変です。でも僕が連れ出さないと体験出来ないだろうし…次は6歳下の次男も控えてます。が、とても連れて行けそうにありません。体力が… 

  8. えぼりさん、いい父ちゃんを実行してますねー。
    脳科学者の茂木健一郎も著書で述べてましたが、子供にとって虫取りは遊びの中でも最高位のものらしいです。たとえば、山の中で石をひっくり返すと、何が出てくるか分からない。クヌギの木を蹴飛ばすと、何が落ちてくるか分からない。クワガタかもしれないし、蛇やゲジゲジかも知れない。ドキドキしながら石をひっくり返し、木を蹴飛ばす。これは、脳にとってすばらしくスリリングで楽しい行為なんだそうです。頭がよく回転するようになるそうですよ。でも、スズメバチや蛇に噛まれて、もっと楽しい、天国に行っちゃう可能性もありますけど。

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