仕事から帰宅し、部屋に着替えに行こうとすると、「ちょっと買い物に出かけてくる」とヨッパライ某が言った。「じゃあ、ついでにワインを買ってきて、プリンスデバオの赤」とぼくは言った。ここのところずっとチリの安いワインだったので、久しぶりにこれを飲みたくなった。テーブルに料理が並び、さっそく開けて乾杯しようとすると、「1000円だったよ」と言う。「へー、そういえばラベルがピカピカになってるね。中身も上等になったのかな」などと言いつつ飲んでみたが、いつもと同じ味がする。「あまり変わらないな、価格は3倍くらいになってるのに」とぼくは言った。あとで分かったのだけど、このワイン、今日は特売日で、3本で1000円だったのだ。ヨッパライ某には「3本で」という文字が見えなかったらしい。
冬のにおい
250万光年
風立ちぬ 今は秋
あこがれのマニュアルミッション
金曜日の男の愛車はホンダの軽バン。彼はこの車に出来立ての豆腐を積んでやってくる。この車のミッションが6速MT。なんと、あのオープンスポーツS660と同じもの。いいな~~マニュアルミッション。しかも6速。いつかまた乗りたい、とずっと思っていたけれど、残された時間はもうわずか。とほほ
ところで話はコロッと変わりますが、今読んでる春樹さんの短編集にある「かえるくん、東京を救う」という物語の中で、ちょっと気になる場面が。かえるくんが終わりの方で次のように語るんですけど
「フョードル・ドストエフスキーは神に見捨てられた人々をこの上なく優しく描き出しました。神を作り出した人間が、その神に見捨てられるという凄絶なパラドックスの中に、彼は人間存在の尊さを見出したのです。ぼくは闇の中でみみずくんと闘いながら、ドストエフスキーの『白夜』のことをふと思い出しました。ぼくは…」
え???そりゃないでしょ。かえるくんはドストエフスキーを誤解しているとしか思えない。物語の中の話に過ぎないけど、ぼくが気になるのは、もし、かえるくんが春樹さんのドストエフスキー観をここで代弁しているのだとしたら…ってこと
Get Up
ぼくは愕然とした。人の話がよく聞き取れない。近くで話してる人の声が遠くから聞こえる。ぼくは仕事を休んで耳鼻科に行った。難聴との診断を受けた。原因はカーステレオの音量が大きすぎたためだった。その頃、通勤時間にVan Halenの5150をフルボリュームで繰り返し聞いていた。30年以上前の話。今でも思う。Van Halenを小音量で聞くなんてありえない。
ある晴れた日の午後の弁当
午後から秋晴れ
読書の秋 その2
めずらしく本を読み続けている今日この頃。先日読んだ村上春樹の「一人称単数」が呼び水になったようだ。村上春樹って、こんなにおもしろかったかな、ってな感じで。というわけで、まだ読んだことがなかった、あの「ノルウェイの森」を読み始めた。しかし読み進むに従い、いつの間にか寒々とした冬の気配がぼくの周りを霧のように漂い始め、ぼくの世界の人口密度が白夜のツンドラ地帯のようになってきた。なんだかまずいところに引き寄せられている気がして、上巻を読んだところでもうやめよう、と決心した。のだったが、コーヒーを飲んでるとつい手が伸びてしまう。恐るべきダークサイドの引力。そんなわけで、いつの間にか下巻の後ろの方を開いている自分がいる。そして今、次のような会話に出合い、思わず吹き出しそうになった。
「ま、幸せになれよ。いろいろありそうだけれど、お前も相当に頑固だからなんとかうまくやれると思うよ。ひとつ忠告していいかな、俺から」
「いいですよ」
「自分に同情するな」と彼は言った。
「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
「覚えておきましょう」と僕は言った。そして我々は握手をして別れた。彼は新しい世界へ、僕は自分のぬかるみへと戻っていった。
今年の春、やっとのことで息子が専門学校を卒業し、社会に出て行った。別れの夜、彼に忠告した言葉がこれと同じだった。へえ、あんたも、たまにはいいこと言うね、と思われるかもしれないが、ちょっと違う。なぜぼくがこんなことを言ったのかというと、ぼくは息子の理想から大きく外れた残念な父親だったのが自分でもよく分かるので、それこそ親身になって息子に同情できる。父親は選べない。そこで思うに、息子もそんな自分の不運を嘆いているのは火を見るよりも明らか、自分に同情していて当然だ。しかし、自己憐憫が己の成長を大きく妨げることはよくわかっている。そこで上にあるような忠告をしたわけ。つまり、上等な忠告を装ったずるい話なのだ。なお、言い訳になるが、どこかの国にこんな名言がある。「父親になるのは簡単だが、父親たることは難しい」