
数日前にも書いたけど、インテリジェント・デザイン、という考え方が、おもしろくて、かなりハマっている。ヒマがあれば、ネットでインテリジェント・デザイン関係の記事、意見を読んでいる。いやー、おもしろい。何がおもしろいかというと、日本のweb上では、おそらく99%以上のインテリ?が、その考えを激しく否定し、「こんなもん、非科学的で話にならんわ」と叫んでいるのです。インテリジェント・デザインを認める発言をしている人って、チョー少数派なんですね、少なくともweb上では。ところで、ネットでインテリジェント・デザイン関係の記事を検索すると、以前、このブログでも取り上げた、竹内薫(著)「99.9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方」での発言が、インテリジェント・デザイン反対派の間で槍玉に挙がっているんです。いわく、「竹内薫の作品は好きだけど、あの発言はいただけないな」みたいな。で、竹内さんがどんなことを言っているかというと、「…私の持論なのですが、この知的設計説という「大仮説」はまんざらバカにできないものだと思っています…」「…生命の起源については、まだまったくわからないことだらけなんです。だとしたら、「なんらかの知的生命体が生命の種をまいた」みたいな話は、グレーゾーンの仮説としては、ありだと思うんですよ。そしてそれは学校で教えるべきだと思うんですよね…」
なるほど。
ぼくは、この彼の発言を全然おぼえてなかったんですが、今読み直してみても、彼は真っ当なことを言っているとしか思えません。でも、今この記事を読んでいる、ほとんどの方には、かなりの違和感が生じているのかもしれない。となると、ぼくの感性は、まともじゃないってことになるのかも。そこで、二年半前に書いた、この本の感想を再び読み返してみたんですが、ここで二度ビックリ。ぼくは彼の感性に共感してるんですね、それも激しく。やっぱりなー、って感じで、なんとなくうれしい、今日の午後でした。
ところで、著者はどうして「すべては仮説」あるいは、「100%仮説」にしなかったんだろう。この著書でも言っているけど、
「科学はすべて近似にすぎない」リチャード・ファインマン なのに。
もしかすると、著者はこう言いたかったのかな?
「100%が仮説とは限らない」
ハリボテと、その影のつぶやき
cosmos
天気が良かったので、手作りの弁当を持って、錦江湾公園に出かけた。空にはウロコ雲が広がり、さわやかな秋風がコスモスの花をやさしくゆらしていた、と、書きたいところだが、日中はかなり暑く、空にはゴジラに似た変な入道雲がのさばっていた。この公園は、前も書いたかもしれないが、とても気に入っている。理由はタダだからだ。タダでこれだけ広い、コスモスやバラの咲いてる公園をうろつけるなんて、おらぁ、しあわせだ。が、時折、となりの動物園から野獣の叫び声がするのが難点である。見晴らしのいい木陰で、風に吹かれながら弁当を食った。できたら、おかずは魚肉ソーセージか、ニッスイの魚肉ハンバーグにマヨネーズを塗りつけたのが良かったが、今日はトリの唐揚げとタマゴ焼きであった。
宇宙人と交信中
いつもコスモスがたくさん咲いているところにはニンジンが植えてあった。と、一瞬思ったが、これはコスモスなのだった。来月あたりが見ごろかも。遠くに見えるのは平川動物園の観覧車。
この世界を疑ってみる?

「生命ってなんですか?」
ぼくは担任の先生に聞いてみた。中学1年の時の話だ。
その時の担任は理科の先生だったが、大変困った様子で、何か言いかけて口ごもり、こう答えた。
「図書館に行って、自分で調べなさい」
今思えば、そう答えるしかなかったのかもしれない。よくあることだが、簡単に見えるものほど複雑で、奥が深い。世界は不思議だ。ぼくにはさっぱり分からない。たとえば、イモムシが蝶になって飛んでいく。そんな当たり前のことが、ぼくには絶対に納得できない。でも、目の前でそれは現実に起こる。ぼくは気が狂いそうになる。そんなことでいちいち騒ぐぼくを見て、妻をはじめ、周囲の人はあきれる。でもしょうがない。この自然世界は、納得のいかないことであふれている。「あなたって、どうしてそんなに疑い深いの?疲れるでしょう」時々ぼくはそういわれる。でも、納得のいかないことをそのまま肯定したら、ぼくはぼくでなくなるような気がする。20代前半、ぼくはある人生上の問題で、聖書を読まされることになった。わが家には仏壇があったので、おそらくぼくは仏教徒なのかもしれなかったが、ぼくはそのころ、神も仏も妄想だと考え、バカにしていた。宗教なんて、心の弱い人が頼る薬のようなものなんだと。ぼくはヤレヤレと思いつつ、聖書をめくった。すると、まず、こう書いてあった。
「初めに、神が天と地を創造した」
驚いたことに、ぼくはそれを否定できなかった。変だとも思わなかった。もしそうなら、この世界は、ぼくの納得のいくものになる。数日前、このブログに時々遊びにいらっしゃるOTOさんに、進化について質問された。そのスレッドで、進化に関する本を紹介したからだと思う。ぼくは思うがままに答えたのだけど、後でちょっと気になり、一昨日から、ネット上で進化論について調べ始めた。すると、興味深いページが見つかった。それは、「インテリジェント・デザイン、最新情報」というページ。とてもおもしろい。インテリジェントデザインの存在自体は知っていたのだけど、ぼくの勝手な思い込みで、これも多数ある宗教の一派だろうと思っていた。でも、読み始めて驚いた。それが、ぼくの世界観と、ほとんど同じだったからだ。ぼくは、妻を初め、ぼくの周囲の人にずっと、進化論のおかしさを訴え続けていたが、おそらく感性が違うのと、ぼくの説明のヘタクソさのせいで、どうしてもうまく伝わらなかった。(今でもそうだけど)。まだ出合ったばかりのインテリジェント・デザインだけど、これから勉強することで、もしかすると、ぼくの世界観について、少しはましな説明ができるようになるかもしれない。そんな予感がある。当然、失望の可能性もあるけれど。そういうわけで、記念日的に、ここに書いておく次第です。
秋の夜長、この世界を疑ってみるのも一興かと思うのですが、いかがでしょう。ついでに、進化論を否定することが、何を意味するかも。
微熱少年の昼休み
メリーゴーラウンド
妖しい夜
十五点八夜
知ることはできないけれど

オジサンは暗い夜道をトボトボ歩いていた。
生きていくのって、どうして、こんなにめんどうなんだろう。
思いつめた表情でオジサンは夜空を見上げた。
オジサンは、少し驚いた。
そこには恐ろしい数の星が瞬いていた。
星は、音もなくそんな彼を見下ろしている。
オジサンは、圧倒され、その場に立ちすくんだ。そして思った。
オレって、なんてちっぽけなんだ。
すると、どこからか、今までにない力が湧いてくるのを感じた。
それは思いがけない、不思議なことだった。
ぼくも時々夜空を見上げるんですが、不思議なくらい、勇気づけられます。
それは、自分が、限りなく0に近い存在であることに気づくからかもしれない。
ぼくは最近、つくづく思います。
人は、ほとんど、なにも知りえないまま、人としての人生を終わるのだな、って。
でも、感じることならできるし、うまくいけば、すべてになりうる。
世界は思ったより複雑だ。分けられないものは分からない。
分からないものを感じる。それはたとえば星空を見上げるようなこと。するとタマシイの本性が目を覚ます。果たして科学は、人から畏怖の念を失わせたのか。ぼくの場合はそうではないけれど。
「迷惑な進化」という本を読んでて思ったのは、分からないもの(つまり、分けられないもの)を感じる感性の必要とその重要性。人が知りうることって、限りなく0に近いんだな、ってこと。ブツブツ…
ソバカツ定食のソバはぼくには甘かった

目覚めると朝だった。ヤバイ夢を見てたせいか、脳はすでに覚醒していた。目覚めた脳はさっそく、アフォーダンス理論について考え始めた。数日前にお客様からお借りしたシャロン・モアレム ,ジョナサン・プリンス著「迷惑な進化」という本が、ぼくをアフォーダンス理論にアフォードしているのだ。ちなみに、アフォーダンスとはアホのダンスではない。ぼくはアフォーダンス理論の研究のため、南へ走ることにした。天気もいいしね。

風は目に見えない。見えたら困る。かも

お化けのポストに見えるんだけど。

昨日、店の駐車場にいたメンタマが、もうこんなところに。

イシガキチョウ。愛想が悪く、逃げてばかりいた。

ソバカツ定食。1,050yen

デザート、ソフトクリーム。250yen(高いやんけ)










