家に帰り着き、屋上に出た。夜空には薄雲が広がっていたが、その向こうで小さな星が瞬いていた。やあ、また会えたね。ぼくは君たちがいないと生きていけそうにない。

ハンドルを握れ

そう、「ふりかかった災難こそが人生のきっかけ」ということである。だれの身にも降りかかる災難は、その人がどう生きるべきか考える磁石の針のようなもので、災難は災難でも、ただそこから脱け出せればいいというものでもない。何も考えずそこをスルーしてしまうと、人生はまったく味も素っ気もないものになってしまう。つまり、災難はただの災難ではないのである。それによって初めて人生が立ち上がる契機となるもので、それなしにはすばらしい人生など存在し得ないことになる。
「生きるチカラ」とは、その人がもっとも大きなダメージを受けたときに動き出すチカラで、ほとんど機能しないほど微弱なこともあれば、それまでの人生が一変してしまうほど強力なこともある。その働きを見つめながら、生きるとはどのようなことなのか改めて考えてみたいと思ったのである。
以上、たま~に更新される植島啓司さんのコラムからの引用。なぜこれをここで引用したかというと、今日いらしたお客さんが、「大病を患い、人生観が変わった」という話をされたからだ。ぼくは数日前にこのコラムを読んでいたので、その話に何か符合するものを感じたのだった。「災難はただの災難ではないのである。それによって初めて人生が立ち上がる契機となるもので…」と、植島さんは言っている。初めて人生が立ち上がる、とはどういうことだろう。それまでの人生はなかったに等しい、ということだろうか。ずいぶん前のことだけど、ある夜、ぼくの娘がその弟に説教をたれているのをたまたま耳にした。何があったのかは知らないが、たしか、「他人の人生を生きるんじゃない、自分の人生を生きなさい」みたいな内容だった。娘から見ると、どうやら息子は他人の人生を生きているらしいのだった。まるで他人の運転する車に乗せてもらって気楽な旅を続けている人のように。しかしそこに思わぬ災難が降りかかるのである。ある日、車は急峻な崖に面した細い下り坂を走っていた。と、突然車のブレーキが利かなくなり、頼りの運転手は失神してしまう。さあ、ハンドルを握るのはあなたしかいない。

ノーミソのお掃除

脳みそを取り出して自分で掃除できたらどんなにいいだろう。あのしわくちゃのかたまりに石鹸をなすりつけ、ブラシでゴシゴシこする。ミゾにつまったドロドロの汚れがじゃんじゃんとれて、新品みたいにピッカピカ。というイメージで、休日を過ごすぼく。
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いつもの貸切温泉で、のんびり湯につかる。
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いつものハーブ園で、ハーブランチ。
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いつもの植物園をウロウロ

彼を知りて己を知れば

おとといの夜、夕食のあとでヨッパライ某に聞いてみた。君はあの事件、気にならないの? と。あの事件とは、もちろん、あの漁船衝突にまつわるあまり愉快とはいえないゴタゴタのことだ。ヨッパライ某はすぐさま向き直り、すっごく頭にきた、と声を上げた。本気で怒っているのだった。ぼくは、ヨッパライ某がまったくこの件の話しをしてこないので、てっきり、さほど興味がないのだろうと思い、人それぞれなんだなぁ、と妙な感慨にふけっていたのだった。しかし実際はそれとは逆で、口に出せないほど怒っていたのである。ぼくはというと、この事件の展開がどうにも腑に落ちずに混乱していた。その夜、ぼくは自分の考えをまとめるべくネットを徘徊した。そしてあるブログの記事を読んで、なるほど、と思った。さっそくヨッパライ某を呼んで、たぶん、こういうことだろう、と、その記事を読ませ、そのあとで、ぼくなりの解説を付け加えた。ヨッパライ某はいくらか溜飲を下げたようだった。でも、それが実際にそうであるという確証はどこにもなかった。ところがさっき、いつものように内田樹さんのブログを見に行ったら「外交について」という記事があがっており、おとといの夜、ぼくがヨッパライ某に話したこととほとんど同じ内容のことが述べられていた。ぼくは少しだけど意を強くすることができた。事実、ぼくはいつになく不安になっていたのだ。
あの国の外交を見ていると「孫子の兵法」を思い出す。この機会に、もう一度目を通しておくのもいいなと思った。

さよならをするために

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今月いっぱいでお別れです。と、R33男は言った。
いつものようにトラジャを飲み、心に残った珈琲はこれでした、とグアテマラを買い、それではまたいつの日か、と言って席を立った。