仕事納めの夜、F少年用と自家用の豆を焼く

某珈琲店の仕事は今日でおしまい。珈琲豆は急ピッチで売れ続け、ふと気づけば残っているのはマンデリン140グラムとグレートマウンテンが200グラム少し。あわててマンデリンを自家用に確保。でもこれだけじゃ正月用には足りない。皇徳寺店は昼に完売したというし、ほかの珈琲店で豆を買うのも変な話だ。困ったことになった。と、そこに某F少年が現れた。豆は売り切れて、もうないよ、と言うと、あからさまに不機嫌な顔になった。グレートマウンテンならあるけど、と言うと、首をひねっている。ぼくもそうだが彼は深煎りの豆が好み。グレートマウンテンの煎りは浅い。と、そこに、浅煎り豆が好きなMさんが現れ、残ったグレートマウンテンを買っていかれた。ついに豆はなくなった。カウンターに気まずい沈黙が流れた。ぼくとF少年の抱えている問題は同じだった。ぼくはふいに思いついたように明るく言った。
「今から焼こうか」
彼が欲しいのは深煎りのタンザニア・アデラで、ぼくもそれを気に入っている。時計は7時を回ろうとしていた。
明日は店の大掃除。今年最後の出勤です。

命の素はモーターでやってくる

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年に二度、機械の中からモーターを取り出して掃除する。およそ電気で動く機械にはモーターが内蔵されている。人間もモーターで動いている。たとえば鞭毛を動かすのに使われている回転型のモーター。巧妙すぎてあきれてしまう。だれが設計したのか、その仕組みは精緻を極め、謎が謎を呼ぶばかり。

変化の兆し

ぼくの年賀状はいつも「ひどい」と評判だ。親戚から小言をいただいたこともあるし、こんなにひどい年賀状が届いた、と、ブログのネタにされたこともある。会社の上司と同じく、いただく年賀状は選べない。勝手に届くからだまって受け取るしかない。年明け早々痛ましい話だ。ぼくは小学生の頃から年賀状を書き続けているが、年賀状のひどさはその頃から変わらない。今でも、あれはちょっとやりすぎだったな、と思う年賀状がある。思い出すたびに心が痛い。ような気がする。それは、下のほうに小さな字で「あぶりだし」と書いた年賀状だ。何もしてないから、いくらあぶっても何も出てこない。きっと何人かはあぶりすぎて燃やしてしまっただろう。ところで、今回の年賀状は家人にも好評だ。つまり、まともだ、ということだ。ぼくは変わったのかもしれない。

きみは愛されるため生まれた

仕事を終えて教会に行った。教会内は照明が落とされ、たくさんのローソクが灯っていた。みんな、大きな声で歌を歌っている。ぼくの知っている歌はとても少ないけど、きよしこの夜だけは歌えた。最後に、次の曲をみんなで歌った。これも知らない歌だった。
きみは愛されるため生まれた
きみの生涯は愛で満ちている
きみは愛されるため生まれた
きみの生涯は愛で満ちている
永遠の神の愛は
われらの出会いの中で実を結ぶ
きみの存在が私にはどれほど
大きな喜びでしょう
きみは愛されるため生まれた
今もその愛受けている
きみは愛されるため生まれた
今もその愛受けている
これ、韓国のゴスペルソングなんだそう。人は神に愛されるために生まれた。あなた(人間)の存在がわたし(神)にはどれほど大きな喜びでしょう。聖書にはそのように書かれてるけど、これはまったく、そのまんまの歌ですね。会が終わり、帰りに、店のお客さんの経営されている塾の前を通ってみた。10時前だというのに明かりが煌々と灯っている。ドアを開け、「メリークリスマス!」と叫びたい衝動に駆られたけど、営業妨害になると思ってやめた。
下の写真は塾の入口にある伝言板
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静かな夜

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静かな部屋でストーブが燃えているのはいいものだ。
夜の帳を超えて聞こえてくるのは…
潮騒。ではなく耳鳴り

冬至

珈琲を焼き終わって、ほっと一息。
BGMにエンヤを選び、珈琲を淹れる。
冬至のBGMはエンヤに決めている。
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そして夜は、ゆず湯にゆーーっくり浸かる。

ダビンチコード的冬の夜長

明日は冬至。北半球ではこの日、昼がもっとも短い。そして25日はイエス・キリストの降誕祭。というわけで、この機会にイエス・キリストについて少し調べておこうと思い、ネットを徘徊した。すると「イエスは実在の人物か?」という記事が出てきて思わずぎょっとした。イエス・キリストの存在は歴史的事実であると普通に信じていたからだ。また、そのサイトには「イエスは死人からよみがえったか?」という記事もあり、どちらも客観的に事件を検証する形で書かれていてかなり興味深かった。冬の夜長はこういうミステリアスな記事を読むのもなかなかオツですね。なお、どちらの記事もpdfファイルにリンクを張りました。文字が大きかったもので。
サイト自体はこちらです。

映画ってホントにいいですね

録画しっぱなしの映画で満杯になったレコーダーに空きを作るため、せっせと録りためた映画を見ては消している。ゆとりを楽しむはずの映画鑑賞が半ば義務化、作業化してしまったのはちょっと悲しい(笑)。昨夜はポールニューマン、ロバート・レッドフォード主演の「スティング」と「マザー・テレサ 母なることの由来」を見た。スティングは学生時に見たときのあのスリリングな感動を再び味わいたくて録画しておいた。いやー痛快。古くなってもおもしろい。映画はこうでなくっちゃーね。いっしょに見たヨッパライ某に感想を聞くと、「いくらおもしろくても人をだますのはちょっとねー」とのことで、評価は低かった。マザー・テレサ 母なることの由来はマザーテレサの生の言動を記録したドキュメンタリー映画。これにはただひたすら感動、その言動に驚きまくり、目からウロコが3枚くらい落ちた。涙が止まらなかった。人生変わるかも。

ラクダの夢

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動物園に行った。なぜか今日は気分が滅入った。冷たい風のせいかもしれない。黒い鉄格子を見るたびに気分が塞ぎ、ついに何もしゃべれなくなった。ラクダ小屋の前で立ち止まり、長い時間ラクダを見ていた。ラクダもだんだんなれてきて、ぼくになにか話しそうに見えた。
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