時の流れる音
アレは水の上だった

あの発電所遺構がそろそろ水没しているのではないかと思い、ネットで検索したところ、2週間前にダムに行った人が水没した発電所の写真をブログに載せていた。というわけで、水没発電所を見るために北へ車を走らせた。発電所はローマの近くにある。

ローマの休日で有名な、あの「真実の口」のそばの茶店で昼食をとった。

ローマにはナイアガラの滝もある。

やっとたどり着いた発電所遺構。な、なんと、まるで水没していない

調べてみると、10日ほど前に140mあったダムの水位が、なぜか今日は133mに下がっている。台風を前に放水したのかもしれない。やれやれ

帰りに某ガラス工芸館に寄ったところ、その帰り、いつものように道に迷い、あげく、山の上の湖に出た。写真は水の中に生える落羽松。
かすみ草
10月にビーサンは似合わない
DMの整理
ヒマだったので、たまに某所から送ってくるDMを整理した。そのDMには読者からの人生相談コーナーがあって、その回答が時に驚くほど深く、目からうろこが落ちることもしばしば。机に広げて整理していたら、こんな言葉が目に入った。「どんな時にも人生には意味がある。あなたを待っている何かがあり、あなたを待っている誰かがいる。そしてその何かや、誰かのために、あなたにもできることがある」ご存知かもしれないが、ドイツ強制収容所での体験をつづった「夜と霧」の作者、ヴィクトール・フランクルの言葉
青い万年筆
3コア対シングルコア擬似マルチタスク
昼過ぎ、おしゃべりに夢中になりながら店に入ってきたのはいつもの仲良し3人組だった。彼女らはマシンガンのようにしゃべりつつカウンターに腰掛け、トイレットペーパーを手繰るように間断なく話し続けていたが、その一人がぼくと目が合うなり、ね、でしょう?と話題を振ってきた。それに答えようと考えているとほかの一人が別の話題を投げてきた。そして最後の一人が、そういえばほら、と、何かを思い出してぼくの目を見据えた。ぼくはストップウォッチ片手にコーヒーをいれつつ、それぞれへの回答を並列駆動の脳内プロセッサで処理していたが、その能力はとっくに限界に達していた。いつものことだが、彼女らの目的はそれなのだった。
今度の土曜日は
今度の土曜日、某珈琲店は休むそうです

※写真は本文とはあまり関係がありません











