女性名詞の「スプーン」は女らしい?

きたぐにの禿山に
ひとり立つ松の木は
むなしくも眠り入る
氷雪におほはれて
夢に見る東方の
はるかなる椰子の木も
かなしげにひとり立つ
灼熱の絶壁に
ハイネ全詩集1(井上正蔵訳)
異なる言語の話し手が、それぞれの母語のあり方ゆえに、同じひとつの現実を違うやり方で知覚することがありうるか。
たとえば、第8章 女性名詞の「スプーン」は女らしい?という章で、書き手はこんな事を述べる。
・・・ しかし、文法的ジェンダーが合理的思考の能力を制約しないのが事実であっても、ジェンダーを持つ言語を母語とする者にとって、状況がある意味で厳しいことに変わりはない。ジェンダー体系は牢獄に近いものになりうるからである—連想の牢獄だ。母語のジェンダーに押しつけられた連想という鎖をふりすてるのはまず不可能である。しかし、英語を母語とする読者が、不合理なジェンダー体系という重荷から逃れられない私たちに同情する気になったとしたら、考えなおしたほうがいい。私はあなたと代わりたいなどと金輪際思わないだろう。私の心は恣意的で非論理的な連想という重荷を背負っているかもしれないが、そのおかげで私の世界は、あなたには想像もつかないほど豊かなのだ。あなたの「it」しか存在しない砂漠に比べて、私の言語の地平はなんと肥沃なことか。ジェンダーが言語から詩人への贈り物であることは言うまでもない。ハイネの男性名詞の松の木は、女性名詞の椰子に恋い焦がれる。・・・
残念ながらジェンダー体系を持たない日本語を母語とするぼくには、ハイネの詩の本当のすばらしさを実感として得ることはできない。そしておそらく文学作品に限らず、ジェンダーを持つ言語を母語とする音楽家、画家の作品から放たれる、その豊かなコントラストも、心の深みで捉えることができない。ううう、な、なんて悲しい・・・かも
○○回目の春
time traveler
はじまり
大きな骨を見て寿司を食べた
海の見えるホテル
橋の化石
社員研修二日目
社員研修一日目
今回の社員研修は、日帰りも可能な近場に一泊する、という低予算な計画なのであった。
というわけで、車はフェリーに乗って海を渡った。海を渡ると、それだけで異国に来たような気がするから不思議だ。
まるでよその国に来たと錯覚しそうなゴシック調の建物。
ここは本当に日本なのだろうか。
ためしに、この建物の前を通りかかったアジア系の女性に声をかけてみたが、ちゃんと鹿児島弁が通じた。
腹がへってきたので、どこかで昼食をとることにした。恐ろしいほどの低予算研修ツアーであったが、食い物だけは少し贅沢をしようと決めておいたので、ウニを炊き込んだメシにウニなどを載せた「海鮮ひつまぶし」というのを注文してみた。
今回の研修で、この人のことをけっこう詳しく知ることができた。
今にも崩れそうな何とか橋。名前は忘れた。
道路傍で寝ていた巨大タコ
宿は、カメが連れて行ってくれそうな名前のホテルであった。夕食のコースに、車海老おどり喰い、というのがあったが、エビを醤油につけたとたん、箸から逃げ、テーブルの上をピョンピョン跳ね回った。そうか、おどり食いとはこういうことか。
というわけで、生きたまま食べるのは心臓に悪いので塩焼きにしてもらった。
明日に続く・・・


































