火曜日の午後

160308_01 某美女カメラマンが新しいレンズを買ったというので見せてもらった160308_02 ドイツ製の高級レンズ。とてもきれい。ぼくもぽっちい160308_03某図書館から借りた本160308_04開いたら、おまけみたいな冊子がテープで留めてあった。寿司屋についての対談160308_05 ストイックなイメージが先行しがちなあの方も、親しい友だちとはこんな会話をしてるんですね。なんだか他人じゃないような気がしてきました

暖かい休日

160307_03 普段の行いがとても良いせいか、朝起きると気持ちよく晴れていた。休日の朝はこうでなくてはいけない。というわけで、海の近くで昼ごはんにしよう、ということになった160307_02 海に面したレストランで、ぼくはいつものようにバジルソースなんとか、ヨッパライ某は肉のなんとかを注文した。デザートは洋ナシのタルト160307_01 この店ではお茶代わりにカモミールのハーブティーが出る。疲れているときは、この独特な香りが心地よい160307_05 帰りにいつもの砂浜に寄った。今日はずいぶん暖かかったが、砂の輝きはまだ柔らかい160307_04

幸せになる勇気、って

160304_01 以前、当ブログで紹介した「嫌われる勇気」の続編。かなりおもしろいし、タメにもなる。「嫌われる勇気」でもそうだったけど、この「幸せになる勇気」は、聖書を読んだことのある人なら「善きサマリア人のたとえ」をすぐさま思い浮かべるだろうし、またコリント人への第一の手紙12~13でパウロが語った言葉は、そのままこの著書の中心課題である「共同体感覚」に重なるはずだ。この二つの著書はアドラー心理学を解りやすく展開したものだが、アドラー自身、ユダヤ教から改宗したクリスチャンなので、その教えが彼の心理学に反映していても不思議ではない。前作の「嫌われる勇気」で、これは宗教ではないか、との意見が相次いだらしく、この「幸せになる勇気」ではその冒頭部分で、少々ピント外れな弁明が展開されている。いずれにせよ、この二つの著書はその値札以上の価値がある良書だと思う

私はその時心のうちで、はじめてあなたを尊敬した

以下は夏目漱石の「こころ」からの抜粋。主人公に届いた、先生からの長い手紙の冒頭部分。これを読んで思うのは、ぼくの人生は、本当にぼくの人生と呼びうるものなのだろうか、ということ。真剣に向き合わないと、人生は逃げていくような気がしたのです

あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといったから。私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを凝と見詰めて、その中からあなたの参考になるものをお攫みなさい。私の暗いというのは、固より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生れた男です。また倫理的に育てられた男です。その倫理上の考えは、今の若い人と大分違ったところがあるかも知れません。しかしどう間違っても、私自身のものです。間に合せに借りた損料着ではありません。だからこれから発達しようというあなたには幾分か参考になるだろうと思うのです。あなたは現代の思想問題について、よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。私のそれに対する態度もよく解っているでしょう。私はあなたの意見を軽蔑までしなかったけれども、決して尊敬を払い得る程度にはなれなかった。あなたの考えには何らの背景もなかったし、あなたは自分の過去をもつには余りに若過ぎたからです。私は時々笑った。あなたは物足りなそうな顔をちょいちょい私に見せた。その極あなたは私の過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれと逼った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。

そのとき、ぼくは夜、外に星を描きに出る

Unnamed「それでもなお、ぼくは、やはり、なんというか、宗教がどうしても必要だと感じる。そのとき、ぼくは夜、外に星を描きに出る…」 キリスト教の伝道師を目指していたゴッホはこの「星月夜」という作品について、書簡にこう書いているそうだ。
今夜は星がきれいだ。先ほどまで夜空を眺めていたのだけど、そんな時の自分は不思議なくらい素直で静かだ。自分のことを好きになれないぼくだけど、無心に星空を見つめている自分は、自分でいうのもなんだけど、いいやつだと思う

セピアな一日

朝のうちに簡単な仕事を済ませ、昼飯を食べに車を走らせた。峠に向かうあたりでコーヒーをポットに詰めてくるのを忘れたのに気付き、交差点のコンビニRに車を突っ込んでコーヒーを買った。ひどく薄いコーヒーだったが、ないよりましなので飲みながら峠を越え、海の近くのコンビニFに再び車を突っ込み、コーヒーを買ったものの、これもやはりぼくには薄かった160229_01 そこでふいに、近くで陶芸をやっているK君の庭で梅がたくさん咲いている、という話を思い出し、車を転回させて彼の家に向かった。庭につながれた白い犬が激しく歓迎してくれるなか、その向こうの梅園に行って羽織をはおった夏目漱石のような顔をして梅を鑑賞した。とても良い匂いがした。家に上がり、彼の作品を見せてもらった。今から昼飯を食べに行くんだ、というと、近くにいいところがありますよ、月曜日も開いてます。と、その店の名刺をくれた160229_02 昭和を髣髴する古い民家がその店だった。中に入ると右手に薪ストーブがあり、薪が赤々と燃えていた。都会育ちのぼくが初めて目にする珍しい農具や籾殻を吹き飛ばす木製の器具などが置かれており、電話も七人の刑事に出てくるような黒いやつだった160229_04 堀こたつ式のテーブルでくつろいでいると、和風の定食が運ばれてきた。カラーでお見せできないのが残念です160229_05 ぼくは普通の定食、ヨッパライ某はオコゲ定食にした。このオコゲ定食が懐かしい風味で、セピア色の記憶を呼び覚ます特筆ものなのであった。カラーでお見せできないのが残念です160229_06 食後のコーヒー。カラーで撮ってもこんな色です160229_07 帰りに、蒸気機関車用の給水塔のある駅に寄ってみた。線路は撤去されているが、プラットホームはそのままだ160229_10 地面を注意して見ると、まだ枕木が埋まっている

ひなたぼっこ

風のない日曜日の午後、柔らかな日差しの下、駐車場横のイスに腰掛けて本を読んでいると、一台の車が駐車場に入ってきた。本を閉じ、急いで店に戻る。お客さまがコーヒーを手にして帰られるとまた駐車場に戻り、ひなたぼっこをしながら本を読む。今日はそれを繰り返していた。この程度の忙しさが、ぼくにはちょうどいい。でも、毎日がこうだと、たぶん生活できない

季節の花

160227_01 菜の花の季節がいつだったのか分からなくなった。真冬に南の方に出かけると、春を代表する黄色い花が、道路に沿って、ずっと咲いている。あのマラソンのせいなのかもしれない。古い記憶は映像で浮かんでくるのだけど、もしその背景にヒマワリが咲いていれば、あれは夏だったんだと思う。菜の花はちょっと切ない。お別れの季節に重なって咲いていたから