答えのない問い

老サラリーマンよ、現在のぼくの僚友よ、ついに何ものも君を解放してはくれなかったが、それはきみの罪ではなかったのだ、きみは、かの白蟻たちがするように、光明へのあらゆる出口をセメントでむやみにふさぐことによって、きみの平和を建設してきた。きみは、自分のブルジョア流の安全感のうちに、自分の習慣のうちに、自分の田舎暮らしの息づまりそうな儀礼のうちに、体を小さくまるめてもぐりこんでしまったのだ、きみは、風に対して、潮に対して、星に対して、このつつましやかな堡塁を築いてしまったのだ。きみは人生の大問題などに関心をもとうとはしない、きみは人間としての煩悩を忘れるだけにさえ、大難儀をしてきたのだ。きみは漂流する遊星の住民などではありはしない。きみは答えのないような疑問を自分に向けたりは決してしない。要するにきみは、トゥールーズの小市民なのだ。何ものも、きみの肩を鷲掴みにしてくれるものはなかったのだ、手遅れとなる以前に、いまでは、きみが作られている粘土はかわいて、固くなってしまっていて、今後、何ものも、最初きみの内に宿っていたかもしれない、眠れる音楽家を、詩人を、あるいはまた天文学者を、目ざめさせることは、はや絶対できなくなってしまった。

「人間の土地」堀口大學訳 より


ちなみに渋谷豊さん訳「人間の大地」ではこうなっている。

「君はもはやさまよえる惑星の住人ではない。君は答えのない問いを自分自身に投げかけることはできない」


ここ数か月、本を読もうという気分にならなかった。何冊か読んだけれども、わくわくするようなことが起きない。年のせいかな。でも昨日、久しぶりに堀口大學訳「人間の土地」を手に取ったらすぐに引き込まれてしまい、なんだか生き返った気がした

秋ですね

ねえ君、二人でどこへ行こうと勝手なんだが、花の咲くところへ行きたいと思っていたのさ

高速を飛ばし、北に向かっていた。長い坂を走っているとルームミラーに銀ピカの怪しい高級国産車が。ぼくはスピードを落とし、すーっと登坂車線に移った。すぐさま銀ピカの屋根から赤い回転灯が飛び出した。ぼくはロックオンされていたらしい。ところがぼくを追い抜いたあと、すぐに回転灯を引っ込め、そのまま先に行ってしまった

何の日か忘れてしまったが今日は祝日だった。つまり、どこに行っても、うんざりするほど人が多い。しかし、高速道路を高速で走ってきたおかげで人はまだ少なかった。花の中を歩き、帰るころになって砂糖にアリが群がるように人が集まりはじめた。

近くのメガネ橋に寄ってみた

月の木川橋というのが正式な名前

人が渡るためではなく、木材運搬用のトロッコ軌道の一部として造られたそうです

下を見る勇気はありません

峠に向かう途中にあるソバ屋で昼食

帰りは高速を使わずに走った。あちこちで金木犀が匂っていた

たどりついたらいつも雨降り

古いヤツだとお思いでしょうが、世間で盛り上がっている「キャッシュレス」ってーのが、どうもなじめない。というか、不安。気持ち悪い。
考えすぎかもしれないけど、これって、個人データ、ダダ漏れなんじゃないの? それをITとかでいじくって、何か新しいものを作り出す。もーなんだか気持ち悪い。でも、これからそういう場所になっていくんでしょうね、この国は。

そんな気分をすっきりさせたいと思っていたら、次の記事が、すこし役に立った。あの、白熱討論のマイケル・サンデル教授の討論記事

デジタル世界で「信頼」をどう再構築するか

10月10日なのに

今日は10月10日。体育の日。祝日。だったのになぁ~1999年までは。10月10日に結婚した友人が「結婚記念日に休めて嬉しかったのに」といつもぼやいていた。残念ながら今日はフツーの日。ただの木曜日。特別な日じゃないんだな。おまけに灰が降ってザラザラ。かわいそうに。

夕暮れ

若いころは一人で生きていけると思っていた。だれのサポートもいらない。B型だし。今はそうは思わない。夏の終わったこんな夕暮れ時は特に。店じまいをはじめたとき同年代のお客さんが音もなく現れた。駅に奥様を迎えに行くところなのだが、早く着いたので寄ったのだと。一杯飲みたいというのでポットに水を入れ、火にかけた。なぜか歌謡曲が聞きたくなって適当に選んだ。ビリーバンバン、さよならをするために。一人では生きていけない。弱くなったからではなく、弱いと気づいただけのこと

最近になって気づいたことがある。なんで今頃、とも思う。それは、自分を幸せにしようと努力すると、かえってそれから遠ざかってしまう、という事実。手に入れようとすれば失うし、失うと与えられるなにか。自分の悟りというものはかなりの確率であてにならない