土曜の朝

以前はダイニングにラジオがあったので、土曜の朝は食事をしながらラジオが聞けた。土曜と日曜の朝は、好きな番組があるのだ。数ヶ月前にラジオは仕事場に引っ越した。今は土日もテレビが点いている。ぼくはテレビがとても嫌いだ。あの音を聞くと具合が悪くなる。とにかくうるさい。丸めた新聞紙を頭の中にぐいぐい押し込まれるような感じがする。最近ノイローゼ気味だ。音を聞いただけでいらいらしてくる。すぐに治ると思っていたのだが、今度はなかなか元に戻らない。病気だろうか。困ったものだ。ラジオの音はなんともないのに。

jump

人と酒を飲むのに、下心があっては良くないのかもしれない。昨夜はお客様の家でごちそうになった。8時半から飲み始め、代行運転を呼んだのが1時過ぎだった。日常の生活はともすれば退屈だが、何気なく過ごしていても周囲は動いており、その変化は情報となって刻々と記憶されていく。そんな、ほうっておけば堆積するだけの情報も整理することで有用化できるかもしれない。並べ替えたり、つなぎ変えたり、別の角度から光を当てる…散らかったジグソーパズルのピースから、隠された秩序を見つけ出す作業のような。料理に鍋や包丁、コンロが必要なように、この作業にも時間と特別な道具が必要だ。それは酒と人。できたらおいしい料理も。ここで人の持つ役割は特に重要だ。過酸化水素水に二酸化マンガンを入れると酸素が発生するが、砂糖や塩を入れても、なにも起きない(多分)。ここで人は触媒の役割を果たすわけで、おおむね特別な、あるいは洗練された感性を持つ人がそれにあたる。ぼくはこの作業のことをジャンプ(跳躍)と呼んでいる。最初に言った下心とは、これのこと。ジャンプにはこのほかにもおもしろく効果的な方法があるんだけど、ここに書くのはまずいので書きません。

そしてだれもいなくなった

長い文章を読むのは骨が折れる。読者あってのブログだ。楽に読めることも大事なのではないか。そこで、このブログもマンガにしてみてはどうかという案が提起された。ぼくはゴルゴ13が好きなので、さいとうたかお風の劇画調で描いてみたい。当然、ぼくはゴルゴのように眉間にシワを寄せて登場する。いや、ちがう。振返って読んでみると、ぼくのブログはポエミーだったりもする。やはり目に星が欲しい。ベルバラの池田理代子(こんな字だったっけ)風で行くべきであろう。しかし、本当のことを言うと、問題は内容なのだ。内容がよければ、文章が長くとも最後まで読めるのである。今日だってそうだ。こんなことを書いてはいけないのである。

狼少年ケン

お客様から借りた、大江健三郎著「新しい人の方へ」を読んだ。
その中に「うそをつかない力」という項目があって、ぼくは頭を掻きながら読んだ。
なぜ、頭を掻くのかといえば、ぼくはウソをつくのも大好きだからだ。
マジメなウソはつかないように気をつけているが、面白いウソを考えるのは止められない。
家族は、その犠牲者である。
子供たちは幼少の頃からぼくにだまされ続けたために、ぼくが本当のことを言っても信用しなくなってしまった。
そういえば、先日こういうことがあった。
夕食を囲んでるとき、息子が
「うちの担任ときたら、やたらモーレツという言葉を使うんだ。モーレツなんて、いまどき流行らないよ」
「そうか、モーレツに臭い屁が出た、とか言うのか。ところでおまえ、モーレツは流行語じゃなく、普通に使う漢字なんだぜ」
と、ここで息子はいつものように
「オヤジめ、またウソを言ってやがる」と、うんざりした顔になった。
娘が、「あら、モーレツは、ほんとに漢字だよ」と言って辞典を引っ張り出し、息子に見せた。息子は驚いていた。マヌケ。
話がそれたが、ぼくは「新しい人の方へ」を読み、小さな決心をしたのである。
「ウソをつかないでみよう」と。(本当)

火曜の朝

朝からお客様が多かった。休み明けのせいと思う。
でも、お客様が多いと、とても変な気分になる。
何かがおかしい、と思ってしまう。
分かっていただけるだろうか、この気分。

気分は日曜

朝からいいお天気だ。
日曜日には、日曜日の顔をしたお客さんがいらっしゃる。
おかげで、気分がらくだ。
コーヒーを飲みながら、音楽や映画の話をする。
ぼくは仕事だけど、気分は日曜日。
やはり日曜日はいいね。

Twilight Zone

書きたいことが多すぎる。
迷いに迷って、結局なにも書けない。
土曜日とは、そういう一日である。
という出だしで書きたかったのだが、ウソなのでやめることにした。
今日はヒマな一日だった。
大きな声では言えないが、ヒマな一日には、ある共通点がある。
そういう日には、決まって、ある特定のお客様が現れるのだ。
そう、それは特殊な能力の持ち主と言ってもいい。
それが他のお客様を寄せ付けない能力だといってるのではない。
お客様がいない時間帯を鋭く感知し、来店、滞在するという、稀有な能力なのである。
今日は、特殊能力をお持ちだ、と、ぼくが日頃から目星をつけていたお客様が、3名もいらしてしまった。
結果は予想通りであった。
この世には科学では説明できない、不可思議な領域が未だ残されているのである。

ペーターと狼

どういうわけだろう、いらっしゃるお客さまの顔が明るい。
明日から休みということが関係しているのかもしれない。
ぼくは笑顔に包まれて仕事をしている。
おだやかな日差しの降り注ぐ庭園で水撒きしている気分。
きらきら輝く水滴が、赤や青の蝶になって飛んでいく。
ぼくはいつのまにか口笛を吹いている。
なんの曲だろう。
ぼくは笑いたくなった。
ペーターと狼。
虹の向こうでペーターは狼を追っている。

エスケープ

またまた古い話。
中学生のとき、授業をエスケープして近くの川に行った。
不思議な気分だった。
自由などという、大げさなものじゃないけど、空気の味が違ったのを憶えている。
もちろん、職員室で、ひどくしかられた。
ぼくみたいな生徒が多かったせいで、先生はハゲができてしまった。
先生は本気で心配してくれていたのだ。
悪いことをしたと思う。
5年前、サラリーマンをやめた。
不思議な気分だった。いつもの道が、うそのように輝いていた。
自由などという、大げさなものじゃないけど、空の明るさが違ったのを憶えている。
エスケープ
場合によっては命がけだ。
でも、命が輝くのは、そういうときだ。

とめどない話

あまり見かけなくなったけど、ぼくが子供だった頃は、水道管が壊れ、道が水浸しになることがあった(笑)
地面から噴き出した水が、まるで命あるもののように踊っている。
つい、時を忘れて見入ったものだ。
道を与えられた水は、おとなしい。
水路を流れ、川に注ぎこんで海に帰っていく。
人の魂も行く先を求めて躍動している。
それが健全な状態だ。
ポーという作家が次のように言っている。
「真の告白を試みてみよ。ペンの下で紙は火を吹き、たちまち燃え尽きてしまうだろう」
魂の仕業は、はかりしれなく、とめどない。
また、映画ジュラシックパークに登場する数学者が次のように言っていた。
「生命は常に新たな道を求めつづける」
生命とは、魂とは…
まったく、はかりしれなく、とめどない。