ホームポジション

たとえばバッハのゴルトベルク変奏曲のメロディーがぼくの中にあって、いつもそれが流れているとする。しかし、生活してるといつか気づかないうちに音符が乱れ、メロディーが崩れてぼくがぼくじゃなくなっていく。ある晴れた日の午後、コーヒーを飲んでると、ふと、なんか変だな、と感じる。心に生じた小さな違和感。多くの情報の中にどっぷり浸っている間に、淀みに流され、くるくる回っている自分。そんなわけで、数日前から、ある哲学のテキストを引っ張り出して読み始めた。何年ぶりだろう。何度も繰り返して読んでるのでボロボロ。水の中を泳いでいる魚は自分が濡れていることに気づかないだろう。自分とは何か。主体の実体化に対する懐疑。そう、ぼくはそこにいる

土曜の夜

仕事から帰ってきて車を駐車場に入れ、荷物を降ろしていると、東の空がパッと明るくなり、大きな音がした。それは花火だった。冷たい風が吹く中、屋上に上がって次々に打ち上がる花火を見ていたら、ヨッパライ某が缶ビール片手にやってきて言った。
花火と缶ビール、サイコー!
寒いのに。

さらば、ゴミバケツ色の時計

店の奥の部屋で使っていた掛け時計がついに動かなくなった。2000年に店を始めたとき、七味小路の雑貨屋で買ったもの。1000円しなかったと思う。

代わりに買ったのがこれ。あこがれの電波時計。うふ。熱帯雨林で1400円。同じ場所に掛けてみたら思ったよりデカかった。存在感ありすぎ。なんだか時間に追われてるような気分になったので、トイレのドアの上に移動。大きいので奥の部屋からもよく見える。

お家へ帰ろう

日が暮れはじめると自然とおなかが減ってくる。おなかが減ると、自然と家に帰りたくなる。家に帰りつくと、ご飯と、みそ汁と、納豆が自然とテーブルに載っている。It’s Automatic
写真は夕方5時半ごろに見えた環天頂アーク

量は質に転化するか

今日はぼくの誕生日ってことで、久しぶりに家族そろって夕食を囲むことになった。もう子供たちも大人になってるから、教えることなど何もないと思うのだけど、ワインを飲みすぎたせいもあって、いつもの調子で何か言いたくなった。会話の量と質について、例を挙げて少ししゃべったが、ぼくが何を言いたかったのかうまく伝わったかどうかは不明