東の空

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                       アルデバラン
                月
        木星
FMアンテナ
  灰  灰 灰
    灰 灰 灰 灰 灰 灰 灰
                   桜島
      丘丘丘丘ーーーーーーーーーーー丘丘丘丘

フール・オン・ザ・ヒル

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某小説家の短編にプールサイドというのがあって、主人公は人生の折り返し点を35歳とする。彼は振り返り、顧みて、初めて人生の渇きを覚えるのだが。
人生に折り返し点があるようには思えないのだけど、そのような人生上の「点」について一言いうなら、突然霧が晴れるように視界が開ける小高い丘のような「点」はある、と、最近思う。

DMの整理

ヒマだったので、たまに某所から送ってくるDMを整理した。そのDMには読者からの人生相談コーナーがあって、その回答が時に驚くほど深く、目からうろこが落ちることもしばしば。机に広げて整理していたら、こんな言葉が目に入った。「どんな時にも人生には意味がある。あなたを待っている何かがあり、あなたを待っている誰かがいる。そしてその何かや、誰かのために、あなたにもできることがある」ご存知かもしれないが、ドイツ強制収容所での体験をつづった「夜と霧」の作者、ヴィクトール・フランクルの言葉

青い万年筆

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いつからか、徒然に文章を書くときもパソコンを使うようになった。ノートはもっぱら仕事用。何日か前、フト思い立って、日ごろ思うことをノートに書いてみようと思った。そして今日、それを実行した。せっかくだから、筆記用具は万年筆にした。ずいぶん前、お客さんからいただいたプラスチックの万年筆。書き始めてみると、おもしろくなってどんどん書いてしまう。つい今し方まで書いていて、カートリッジのインクが切れてしまった。パソコンじゃないから、わからない漢字が出てくると辞書を引く。字が小さくて読めない。苦労する。でも、それが楽しい。だいたい、楽をしようと思えばつまらなくなる。遊びとはそんなものだ

3コア対シングルコア擬似マルチタスク

昼過ぎ、おしゃべりに夢中になりながら店に入ってきたのはいつもの仲良し3人組だった。彼女らはマシンガンのようにしゃべりつつカウンターに腰掛け、トイレットペーパーを手繰るように間断なく話し続けていたが、その一人がぼくと目が合うなり、ね、でしょう?と話題を振ってきた。それに答えようと考えているとほかの一人が別の話題を投げてきた。そして最後の一人が、そういえばほら、と、何かを思い出してぼくの目を見据えた。ぼくはストップウォッチ片手にコーヒーをいれつつ、それぞれへの回答を並列駆動の脳内プロセッサで処理していたが、その能力はとっくに限界に達していた。いつものことだが、彼女らの目的はそれなのだった。