日曜日といえば

日曜日。午前中は珈琲を焙煎していた。以前のように張りつめて仕事をしている感覚はないが、一定の緊張感はある。それは年齢に相応した無理のないもの。焙煎を終え、自分のために珈琲を淹れる。今日はドライオンツリー。集中を要する作業の後で飲む珈琲は格別だ

昼食後、屋上に出て、風に吹かれながら本を読む。飛んでるトンボもめっきり少なくなった。昨日はキイロスズメバチがあいさつに来た。ハマヒヨドリは相変わらず忙しそうに近くを飛び回っている。この鳥は獲物の残骸を散らかして飛んでいく。今日はテーブルの横にカマキリのカマが落ちていた。今はどうか知らないが、日曜日といえばカレー。夕食はタイカレーを作った。ボケ防止のことも考えて、カレーは定期的に作る

コーヒー片手に

昨日からまたユクスキュルの「生物から見た世界」を読み返している。前回読んだのは今年の4月20日。手術前の検査で入院しているとき。なぜ何度も繰り返し読むのか。それは深いところからこみあげてくる恐怖心から。ぼくは常識の海に沈むのが恐ろしい。それはいうなれば、自分が「裸の王様」であることに気づかない、あるいは忘れてしまうことだから。4月20日のブログにぼくはこう書いている。「ぼくはこの主観的世界の中で生きていることを自覚しながら日々楽しんでいる。でも、常識的な日常生活は、気づかぬうちにぼくをそこから連れ出してしまう。そうなるとぼくの人生は冒険の様相を失ってつまらなくなる」と。泳いでいる魚は自分が濡れていることに気づかない。ぼくが言いたい「裸の王様」とはそういうこと。メタ認知能力みたいなはなし。「松岡正剛の千夜千冊」で彼はこう書いている。


フォン・ユクスキュルとダーシー・トムソン。この2人の名。若き日のぼくが聞き耳を立てたアーティストたち、たとえば杉浦康平、磯崎新、河原温、ナム・ジュン・パイク、奈良原一高、川田喜久治、武満徹、大辻清司、北代省三……たちが、この2人の名をしばしば口にしていた。「やっぱりユクスキュルの環境世界という見方が必要なんだよ。ダーシー・トムソンの生物から見たデザインだよね」。
1970年前後の話だが、そのころアーティストやデザイナーや写真家や作曲家は自分が世界を切り取っているのか、世界が自分を切り取っているのか、そんな問題を口角泡をとばすように交わしあっていた。人間は自然にフィルターをかけて歪曲して再生しているのか、それとも自分の心象を世界だととりちがえているのか、そんなことをよくよく考えていた。そのころ27歳か28歳だったぼくは、そうか、そこまで考えているものなのかと感心した。さっそく読んでみた。とくにユクスキュルだ。なるほど、断然にすばらしい。以来このかた35年ほどがたったけれど、この本はいまなおぼくの大事な大事なアンチョコになっている。


この本はいまなおぼくの大事な大事なアンチョコになっている。と、彼は書いている。その通り。ぼくにとっても、いまなお大事な大事な大事な、これは人生マニュアルなのです。というわけで、さっきまでこの本を訳した日高敏隆さんの「動物と人間の世界認識」を読んでました。コーヒー片手に、麦わらをかぶって。

ビールなしの月夜

昨夜眠れなかったせいか泥のように眠り、目覚めたのは8時を回っていた。10時に寝たので10時間泥沼に沈んでいたわけだ。同じ格好で長く沈んでいたせいで、体の関節がうまく動かず、しばらくはベッドから降りてもうまく歩けなかった

顔を洗い、鏡を見るとコブ取り爺さんが情けない顔でこちらを見ていた。今日はだれにも会いたくないと思った。お昼ごろ、金曜日の男がやってきた。最近目のあたりが・・・と、体の不調をヨッパライ某に訴えていた。ぼくは顔の右半分が見えないように斜めに構え、テキトーにしゃべった。夕方、仕事帰りに山男がやってきた。コーヒーを飲んで帰るころには日は沈み、月が上っていた。彼はスマホを取り出し、月に向けて写真を撮っていた。

眠れない夜

連休が終わったので、今日は久しぶりにドライブに出かける予定でいた。ウイークデイの休日を経験すると、もう土日、祝日に遊びに出かけようとは思わなくなる。どこへ行こうか。東か西か。北か南か。候補を2か所に絞り、明朝起きた時の気分で決めようと考えてベッドにもぐりこんだ。午前1時20分。歯茎が痛くて目が覚めた。下の前歯の手前。一年に一度、疲れやストレスがたまっている時に腫れることがある。ズキズキしてがまんできないくらい痛い。薬箱に何かないか探すと、バファリンがあったのでそれを飲んで寝た。が、まったく効かず痛くて全然眠れない。そのまま朝が来た。結局行きつけの歯医者に行って処置を受け、薬をもらっておとなしく家にいることになった。痛みは引いたので、出かけられないこともなかったのだが、頬がコブ取り爺さんみたいに腫れ上がり、ちょっと出かける気分になれなかった。

今日は何の日

今日も祝日。猛烈にいい天気であったが、ずっと家にいた。午前中は庭の草払い。外に出ると、向かい側のフェンスから彼岸花が顔を出していた。わざわざ車に乗って見に行かなくても、ここにいるじゃないか、というわけで、家からカメラを持ち出してきて、ハイチーズ、などと言いながら何枚か写真を撮った

この花は体内に正確なカレンダーがあるらしく、ちょうど秋分の頃に咲く

今日、太陽は真西に沈むことになっている。せっかくなのでビールを飲みながらそれを眺めることにした。などといろいろ理由を付けてビールを飲むのだった

冬の足音

朝、庭に出たらスイレンが咲いていた。秋も深まりつつあるのに。カップのコーヒーはモカクイーン。どうしても一緒に写りたいというので。犬が

チェーンソーで庭の木を切る。切るのは爽快で楽しいが、後片付けがめんどう。次に使うのは、おそらく半年後くらい。となると、チェーンを掃除して専用のオイルでコーティングしておかないとサビが来る

日が沈んだころ、屋上で缶ビールを開ける。薄着のせいもあるが、ちょっと肌寒い。冬の足音が近づいてくる。やだなー

だけど飲んでます

朝、同級生Fが遊びに来た。いっしょに遊んでばかりいた友達。彼は後1年仕事をするという。ぼくも同じころまで仕事をするつもりでいたけど、体がもたなかった。年が同じだと考えることもよく似ている。彼と久しぶりに話していて、なんだか楽になった。自分と考え方が違う人たちの中にいると疲れるのだということがわかった。それは悪いことではないのだけど、ずっとそうだと自分が擦り減ってしまう気がする

すこし前まで金魚がエサをパクッ、ってやってるように見えたんだけど

土曜日はウォークマンだった

土曜、日曜は車に乗って遊びに出かけることは少ない。雨も上がり、風も気持ちよかったので、昼食後、歩いて近くの山林を探索することにした

近くを流れる川。川の傍らに水源地があり、ぼくの住む団地に水を供給している

歩いている人はいない。車もめったに通らない。

道を上りきるとあたりは開け、瑞々しい田園風景が広がる。

なんとかの遺跡

人生の道しるべ

怪しい人に注意

家に帰り着いてシロクマ。疲れた

雨の金曜日

今日は晴れるはずだったので、どこかドライブに出かけるつもりでいた。朝起きると、やけに暗い。もしやと思ってカーテンを引くと、灰色の雨。屋上のドアを開けたままだったので、あわてて閉めに行ったが、すでに床はびしょぬれ。今日、最初の仕事は雑巾がけだった。気圧病のヨッパライ某は寝込んだまま起きてこない。今日のドライブは中止。一人で朝食を済ませ、軒下の植物を外に出して雨にあてる。コーヒーを点てて読書。雨の音しかしない。静かな音楽を聴いているようだ。身も心も透明になって消えてしまいそう

微熱少年にはバジルが必要なのです

5月20日、ホームセンターでバジルの苗を1鉢購入。税込み158円

この鉢を選んだのは、ほかの鉢は苗が1株か2株しか入ってないのに4株も入っていたから。しかし持ち帰って4つを分けようとしたら、根が絡み合って一体化しており、きれいに分けることは不可能に思えた。

しかしぼくは腕のいい外科医のように、それぞれの根を正確に分けてプランターに移植した。これは植えて一週間後の写真

わが家のサラダにはバジルが欠かせない。毎日使っても、ぜんぜん減らない。

トウが立ち始めたので10センチくらい残して切り戻しをした。収穫したバジルを量ったら180グラム。これでジェノベーゼを作り、夕食はパスタに決定

オリーブオイルが残り少なかったのでサラダ油を使ったのだけど、バジルの香りもよく、さっぱりして意外とおいしかった。ぼくはこちらの方が好みかも。ヨッパライ某も、すごくおいしい、と絶賛。山もりにして食べたが、足りずにお代わり