台風前夜

カラー地図を印刷する必要が生じたので、パソコンからネットプリントにファイルを送り、自宅近くのコンビニで印刷することにした。深夜のコンビニは台風が近づいていることもあって、人影もまばら。店内のプリンタに先ほどアップしたファイルをダウンロードし、印刷ボタンを押す。便利な時代になったものだ。プリントを終え、車をとばして帰宅し、カップに氷を入れてウイスキーを注ぐ。やれやれ、やっと一日が終わった。ウイスキーを飲みながらポケットをまさぐり、硬貨をテーブルに広げる。ん?金額が合わない。お釣りを取るのを忘れたのだ。車に乗って取りに行こうと思ったが、お酒を飲んでしまった。しかたなく、歩いていくことにした。車だと5分で着くのに、歩くとけっこう遠い。でも、お酒のせいで、なんだかいい気分。コンビニに着いた。客は一人もいない。お釣りはそのまま残っていた。ラッキー! ところが店を出たとたん、大粒の雨が横殴りに降りだした。台風がすぐそこまで来ているのだ。ぼくは雨に濡れながらとぼとぼ帰った

ヤマビコの話

昼過ぎ、お客さんとコーヒーを飲みながら話してたら、ヤマビコの話になった。ぼくが、ヤマビコなんて最近の人は知らないんじゃないですか、特に、この辺りには高い山もないし。というと、そんなことはない、開聞岳の上でもヤマビコは聞こえるよ、という。お客さんはその付近の出身なのだ。へえ、どこに反射するのかな。あのあたりだったら、よほど大きな声を出さないとヤマビコは返ってこないんじゃないですか、というと、まじめな顔で、メガホンを使うのよ、ヤッホーって。ずいぶん迷惑な話だと思ったが、だまっていた。うちのお客さんは変わった人が多い

犬のワッペン

先日リュックサックを買った。10種類の柄から選べたのだけど、どういうわけか布の柄によってずいぶん価格が違う。一番気に入った柄が一番高く、一番安いのより7割も高かった。ぼくは躊躇せず一番安いのを買った。これに好きなワッペンを貼って、少しでも高いふりをしようと考えたのだ。ワッペンは、愛用しているコーヒーカップに印刷されている犬(ケンケン)を抜擢するつもりでいたが、ネットでいくら探しても気に入ったものがない。探しているうちに変な顔のスヌーピーが目に留まった。眠たそうな、デブで不細工なスヌーピー。よく見るとOlafと書いてある。Olafってなんだろう、と思い、調べてみたら、スヌーピーの兄弟なんだそうで、「みにくい犬コンテスト」で優勝した経歴を持っているという。そうか、スヌーピーには兄弟がいたのか。でも、気に入ったので、このワッペンを購入することにした。ところで先日購入した一番安いリュックサック、今日価格を見たらなぜか値上がりしていて、ほかのリュックと同じ価格になっていた

君の膵臓を食べたいを読んで思わず怯んだひとこと

「君にとって生きるとはどういうこと?」

との問いに、彼女はこう答える。

「誰かと心を通わせること」

マルティン・ブーバーが「我と汝・対話」で言いたかったことを一言で言えばコレなんじゃないか。つまり、生きるとは誰かと心を通わすこと。さもなくば君は自分と出会うこともない。

〈われ-なんじ〉関係における人間の在り方

磁気嵐

太陽で大きなフレアが発生したらしく、朝からどーもチョーシがわるい。ニュースによると、明日の午後には電気を帯びたツブツブが降ってくるという。ただでさえ憂うつなのだから、変なものを降らせないでほしい

映画が先

君の膵臓をたべたい。ぼくは映画を先に見て、そのあと本を読んだのだけど、どちらもそれぞれにおもしろかった。ヨッパライ某は本を読んだあとで映画を見たのだけど、本の方がずっとよかった、と言っていた。原作を読んだあとで映画を見ると、削られているところや改変されているところが目について残念な気持ちになることがある。本が先か映画が先か。悩ましい問題だ

雨の街

ヨッパライ某が映画を見たいというので久しぶりに街に出た。君の膵臓をたべたい、という物騒なタイトルの映画で、ヨッパライ某はこの原作を20回以上読んだのだという。そんなにおもしろいの?と聞くと、うん、わたし的にはね、とのことだった

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映画館を出ると雨が降っていた。青い染みのような喪失感が心のどこかに薄く広がっていた。女の子のあるセリフがそうさせたのだ。秋風が吹きはじめるこの時期に見るにはちょっと辛い映画だった。
近くのパスタ屋でスパゲッティでも食べようと歩き出したが、入り口のシャッターに「今日は事情により休みます」との貼紙が。最近、こんなことが多い。しかたなくビクター犬のいる洋食屋に行き、オムライスを頼んだ。主人公の女の子はこの小さな旗を見て、なんていうだろう

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本屋をぶらついてるうちに、いつもの自分に戻り、カキ氷を食べて家に帰った

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夕食後、ヨッパライ某から本を借りて、あのセリフを探し始めたが、背後にふと冬の気配を感じて本を閉じた

青い花

宇宙の不思議、という本を読んでたら、その巻末の解説に次のような詩が紹介されていて、ちょっと感動。

ウィーン大学におりました時に、ふと立ち寄った本屋がございました。モーツァルトのお葬式をやった寺院のすぐ横にある本屋ですが、ノヴァーリスの詩集を見つけました。その時、頭の上からもの凄い光の矢が脳天を突き刺したような感動を覚えました。こんな詩があったんです。

すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。
きこえるものは、きこえないものにさわっている。
感じられるものは、感じられないものにさわっている。
おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっているだろう。

著者によれば、原文に忠実に訳せば「さわっている」ではなく、「ひっかかっている」になるそうです。

すべてのみえるものは、みえないものにひっかかっている。
きこえるものは、きこえないものにひっかかっている。
感じられるものは、感じられないものにひっかかっている。
おそらく、考えられるものは、考えられないものにひっかかっているだろう。

ぼくは写真を撮るのが好きだけど、この「みえないもの」「きこえないもの」「感じられないもの」「考えられないもの」を写そうとしている気がします