変な夢にうなされつつ目が覚めると時計は9時をまわっていた。9時だというのに部屋の中が夜のように暗い。そうか、今日は雨なのか。天気予報は外れると腹が立つが当たっても腹が立つ
気がつくと昼になっていた。起きるのが遅いとすぐ昼になる。昼ごはんはサンドイッチとナポリタンだった。子供のころナポリタンは大好物だった。でも、今食べてもあの時の感動はない。なにかが変わってしまったのだ
変な夢を見た。いつの間にかぼくは散髪屋のイスに座っていた。ぼくの後ろで妙に存在感の薄い男がぼくの髪を切っていた。ふと鏡を見ると、ぼくの後頭部は切りすぎて大きなハゲになっていた。なんてことをしてくれたんだ!と、ぼくが怒鳴ると、存在感の薄い男は小さな声で、じゃあこうしましょう、といって指揮者のような手つきでハサミを動かした。しばらくするとぼくの頭はモヒカン刈りになっていた。だが問題はそこじゃなかった。ぼくはその髪型が気に入ってしまったのだ
なにがおもしろいか、また、楽しいか。それは「分け入ること」なんじゃないか、と、最近よく思うのです。分け入るにはきっかけがあるのですが、最近では以下に記すマルセル・デュシャンとガウディの言葉がそれでした。分け入って歩いているうちに新たなきっかけが生じ、身を転じてさらに分け入っていく。そして分け入った先はその常として瑞々しく、青々と輝いているのです。
創造は人間を通して絶え間なく働きかける。しかし、人間は創造しない。発見する。新しい作品の為の支えとして自然の諸法則を探究する人々は創造主と共に制作する。模倣する人々は創造主と共に製作しない。それゆえ独創とは起源に帰ることである。(ガウディ)