氷の世界

雨が続くと自宅のパソコンも不機嫌になる。一週間ほど前、なにも悪いことなんかしてないのに突然フリーズし、コントロールできなくなった。強制終了し、しばらくおいてスイッチを入れるとランプは点灯、ハードディスクも回りだしたがアクセスランプが無反応。画面は真っ暗、メーカーロゴも出てこない。BIOSが立ち上がらないのだ。この状況だと他のメディアから起動することもできない。起動を試みること数回、不安は残るものの何とか動くようになった。以降、何事もなかったように動いていたのだけど、昨夜、また同じ症状が

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BIOSが立ち上がらないということで、まず思い浮かぶのはマザーボードのボタン電池の消耗。でも5年程度でカラになるものなんだろうか。(写真の丸いコインのようなものがボタン電池)

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というわけで、ダメもとでボタン電池を交換してみることにした

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ケーブル類を元のように接続し、スイッチを入れると無事起動。CMOSをクリアしたので時計も初期に戻った。2010年。あのころキミも若かった。なんちゃって

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とりあえずチェックディスクとか実行。今、このブログもこのパソコンで書いているのだけど、そろそろフリーズするかも

OFF

150702_02午前9時55分。間もなく店を開ける時間。BGMをONにし、店内の照明のスイッチを入れる。次に、店の奥にあるcoffeeのネオンサインのプラグをコンセントに突っ込む。あれれ? 点灯しない。ガーン!ついに壊れてしまったのか。毎日ずっと点けっぱなしだったからなぁ。念のため、コードの途中に付いているスイッチのON、OFFを繰り返してみた。すると一瞬、ネオンが光った。さらにガチャガチャやってると、ネオンはいつものように点灯した。やっぴー! ここのところの長雨でスイッチが錆びたのかもしれない。そういえばその昔、テレビが映らなくなるとテレビの箱をたたく人がいた。TとかUとかBとか。ん?なぜかみんなO型じゃん。たまたまだろうけど

一日の終わり

寝る前に少しだけお酒を飲む。ここのところ、それはバーボン。キッチンの横のイスに座り、ライトを暗くして時間をかけて飲む。何を考えているのか。ほとんどの場合、一日を振り返り、謙虚に反省している。だから酔えない

微熱少年の夜

「人生は怖れを知らぬ冒険か、それとも無かのどちらかである」
これは数日前に読んだ本に出てきた言葉。どこかの偉そうな冒険家が言ったのだろう、と思ったら、意外にもヘレンケラー。この言葉がヘレンケラーのものでなければ気にも留めなかった。似たような言葉はネットにあふれ返っている。しかし、彼女が言ったとなると意味深長だ。俄然興味がわいてきた。雨の夜、微熱少年は例によって病的に思い詰めはじめたのだった。

つづきません

Hello!

150624_01 昨夜のことだ。Windowsを起動して数分後、画面が青く染まったと思う間もなく暗い闇が画面を支配した。あいつだ。Blue Screen Of Death.セーフモードでBlueScreenViewを立ち上げ、表示されたわけのわからない英語をコピー。娘の部屋のパソコンを使って調べてみたが決め手になる対策が見つからない。とりあえずスキャンディスクとシステムファイルチェッカーを走らせてみた。今のところ再発していないが…それにしても、あの青い画面。実に禍々しい。やぁね150625_01 店の常連さんから、こんなのをもらった。もちろん手作り150625_02

ショートケーキは意外と高かった

150623_01_2 夕方、仕事男がショートケーキを持ってやってきた。ブルーベリーみたいなのとマンゴーみたいなのとシュークリーム。ぼくはマンゴーみたいなのを食べた。とてもおいしかったので、250円くらいするんだろう、というと、その倍くらいだという。ぼくは感心した。仕事男は本当は金持ちなのかもしれないと思った

MOMO MOMO MOMO

150620_01 夕食後、お客さんからいただいたモモのコンポートをみんなで食べた。今夜は一人2個の予定だったが、あっという間に食べ終わり、「3個にしよう」と、ぼくが提案すると、わが家には珍しく全員一致で即決された

5年前

150616_01 熱帯雨林から新しいネズミが届いた。古いネズミとも今日でサヨナラ。いったい何年使ったのだろう、と、ブログを遡って調べてみてちょっとびっくり。ちょうど5年前、2010年6月8日、火曜日に使い始めている。そしてその前日の記事を見てまたびっくり。昨日行った海の近くの公園で、昨日と同じ写真を撮っていた

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2010年6月7日(月)の写真

ホームポジション

自分がどこにいるのかわからなくなったときに聴きたくなる曲。
荒井由美の瞳を閉じて。
この歌の風景に自分を重ねたとき、当たり前のぼくが見えてくる気がするのです