土曜の午後

151205_01 男は言った。青いシュークリームを選べば話はここで終わる。君はいつものように自分のベッドで目覚め、いつもと変わらない日々が君を待っている。 赤いシュークリームを選ぶなら…君は真実の世界を見ることになるだろう。

今あなたは問いを生きて下さい

151203_05

今年の夏ごろ、斎藤環という精神科医がおもしろそうな本を出した。それは「オープンダイアローグとは何か」という本。以下、amazonの紹介文から

なぜ人は、“対話”だけで回復するのか。依頼があったら「24時間以内」に精神科の「専門家チーム」が出向く。そこで患者・家族・関係者をまじえて、状態が改善するまで、ただ「対話」をする――。フィンランドの一地方で行われているシンプルきわまりないこの手法に、世界の注目が集まっています。この手法に、かねて「人薬(ひとぐすり)」の効用を説いていた斎藤環氏が魅入られました。

読んでみると予想以上におもしろく、実にスリリング。示唆に富む指摘やアイデアが随所にあって、おかげで付箋貼りまくりでした。さて、このオープンダイアローグの手法を支えているのが「言語とコミュニケーションが現実を構成する」という社会構成主義的な考え方。巻末の用語解説によると、
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「現実を言語が構成している」という考え方のルーツは「言語論的転回」と呼ばれる西洋哲学史における巨大なパラダイムシフトだった。それまで言語は、世界を記述するための透明なメディアに過ぎなかった。しかし言語論的転回以降は、言葉が単なる記述のツールではなく、独自に意味を産出しながら現実を構成する手段であるという考え方が一般化したのである。
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この、「言葉が単なる記述のツールではなく、独自に意味を産出しながら現実を構成する手段である」という見解には、今更ながらハッとさせられます。まったく、言葉って、いったい何なんでしょう…といいつつ、それを考えるのにも言葉を使っているわけで。なんだか中途半端な記事になってしまいましたが、実をいうと今日、一番書きたかったのは下の文章だったのです。備忘録として。「オープンダイアローグとは何か」の中で引用されていた文章ですが、ぼくはこの文をいつでも、思いついたときに読めるようにしておきたかったのです。

あなたはまだ本当にお若い。すべての物事のはじまる以前にいらっしゃるのですから、私はできるだけあなたにお願いしておきたいのです、あなたの心の中の未解決のものすべてに対して忍耐を持たれることを。そうして問い自身を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは非常に未知な言語で書かれた書物のように、愛されることを。今すぐ答えを捜さないで下さい。あなたはまだそれを自ら生きておいでにならないのだから、今与えられることはないのです。すべてを生きるということこそ、しかし大切なのです。今あなたは問いを生きて下さい。そうすればおそらくあなたは次第に、それと気づくことなく、ある遥かな日に、答えの中へ生きて行かれることになりましょう。

リルケ (著), 高安 国世 (翻訳) 若き詩人への手紙・若き女性への手紙

情けない男シリーズ

151123_11 カーヴァーの短編集を読んでいると、これでもか、というくらい「情けない男」が登場してくる。この本を訳している村上春樹は解説の中で、これら情けない男を主人公として扱っている作品群を特に「情けない男シリーズ」と命名し、類別していた。村上春樹はこのシリーズのどの男たちとも、自分自身を重ね合わせることはなかったのだろうと思う。なにせ彼らは救いがたく重度に情けないのだ。しかしぼくは、これら「情けない男」のなかに、かなりの頻度で自分を発見することになってしまった。そのたびにぼくは、こうつぶやかずにはいられなかった。やれやれ

明るい朝

151119_01 いつもより早く目が覚めた。朝は例外なく憂鬱。死にたくなるほどひどいこともある。それが持ち前の暗い性格から来るものなのか心の病気なのかは分からない。ドアを押し開けてベランダに出た。空が気持ち悪いくらい青かった。何かまずいことが起きる前触れじゃないかと不安になったが、たぶん、気のせいだろうと気を取り直し、洗面所に向かい、顔を洗った。出勤まで時間がある。何をしようか。ぼくは先日図書館から借りたレイモンド・カーヴァーの本をつかんで娘の部屋に行き、椅子に腰掛けた。部屋は娘が出て行ったときのままになっている。この部屋は朝日が差してきて、午前中はとても明るい。短編を二つ読んだ。それぞれの主人公に共感できて、とても愉快な気分になった。こんな明るい朝は久しぶりだ