漁港近くの食堂でエビフライを食べた後、山の上の公園に行ってみた
若い女の子が、両手で落ち葉をすくっては、楽しそうに辺りに振りまいていた。絵になる風景だ
カメラを持ったオジサンも、同じように落ち葉をすくってまき散らしたかったが、絵にならんだろうと思ってやめた
落ち葉を踏む音を聞きながら歩く。どうしてぼくはここにいるのだろう
午前中は晴れていたが、だんだん雲が出てきた。どこかで飯を食おう、ということで、ポットにコーヒーを詰め、テキトーに車を発進させた
車は南に向かって走っていた。昨夜見た映画がさっぱりわからない、というヨッパライ某に、ぼくはレプリカントとは何か、という話を始めた。すると、カズオ・イシグロの、わたしを離さないで、の主人公たちと境遇が似ているね。今、帚木蓬生のヒトラーの防具、という本を読んでいるんだけど、そこでも同じ問題を扱ってるよ、と文学少女らしい意見を言った
山の上の公園に寄って、あまり色づいていないイチョウやカエデの写真を撮り、山を下って海の近くの食堂に行った
雨に濡れた堤防をのろのろ歩き、灯台の近くに行った。釣りをしている人が何人かいて、小さなアジが釣れていた
たまには自撮り写真でも
今日は父を病院に連れて行く日だった。検査は8時15分から。病院に着いたのが7時半。父をヨッパライ某に任せて、近くの山に登ってみた
月曜日の朝。ぼくは休みだけど、ほとんどの人にとって、3連休明けの憂うつな朝
堤防の向こうに、あまり見かけない船が浮かんでた
検査が終わったとの電話があったので、病院に戻った。検査の結果、何も問題はないとのこと。何か食べに行こう、ということで、山を越え、南に下って漁港近くの食堂に入った。おそらく食事代は父が出すだろう、と予想し、イセエビ定食を人数分たのんだが、すでに完売。単品なら一つできる、とのことでそれを注文し、タカエビ定食と寿司をたのんだ。とてもおいしかった。なお、当家では代々、親に金を出させるのが親孝行という習わしになっている。わけないか
今日は雨のはずだった。一週間前の予報ではそうなっていた。ぼくはそれを信じ、今日の午後、歯医者の予約を入れたのだった。もし晴れだったら決してそんなことはしなかった
朝起きると恐ろしく晴れていた。今日は雨が降るはずだったので、午前中は映画を見に行く予定にしていた。映画に行くのは夜か雨の日に決めているから。そういうわけで近場にドライブに出かけた
稲刈りの終わった田園を抜け、赤い鳥居をくぐって右に折れたところにある喫茶店で昼食をとり、山の上の電波望遠鏡を見に行った。望遠鏡は覗き趣味を満足させるためだけにあるのではない。宇宙の秩序を調べるのにも役に立つ
帰りにコスモスを見に行った
コスモスとはラテン語で星座の世界=秩序をもつ完結した世界体系としての宇宙の事である。 対義語はカオス(混沌)
wikipediaより
コスモスを眺める混沌→ぼく
山の上の美術館に行きたい、という人がいたので行ってみることにした。高速道路を使えば早いのだけど、お金がもったいないので下の道を走った
途中、今年いっぱいで消えてしまう橋がある、というので寄ってみた
good by
山の上の美術館には変なロボットやテレビ人間がいた
会場はテレビだらけ
これもきっとアートなんでしょうね
わかるようでわからない。だって芸術だもの
昼食は灯台に行く途中で食べることにした。ちょっと寄り道をして上場公園、というところに行ってみた
昼食は島に渡る橋の手前で食べた。この食堂の窓から見える海はとてもカッコイイ。なお、隣の若いカップルは5500円もするイセエビ定食を食べていた
いつもの灯台はいつもの灯台だった