あの時、同じ花を見て

だれかと思い出を共有したい。刹那的な記憶の断片を。同じ花を見て、きれいだね、と、うなずき合った、そんな一瞬の記憶。そうだ、こんな歌があった。

あの時 同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度

同じ花を見て、同じ海を見て、同じ夕陽を見た

怪獣が棲むという、あの火山湖に寄ってみた

湖畔をうろついていると、どこか遠い世界から聞こえてくるような不思議なメロディが聞こえてきた。

桜の無垢板に細い金属の弦を張っただけのシンプルな楽器なのですが、見た目からは想像できない、心に深く響く音がします。ヒーリングライアーというドイツの楽器だそうです。

昼食は、なんとか牧場で

哲学的な歌を聞きながらドライブ

入院中の父を連れだしてドライブに出かけた。どこでもよかったのだが、そうめん流しにでも行こうか、というと、おう、それでいい、というので、車は南に向かって走り出した。

カーステレオのスイッチを入れ、昨夜、父のためにiTunes Storeからダウンロードした植木等のアルバムをかけたところ、これが予想以上にツボだったらしく、歌を聞きながらずっと笑っていた。そして、久しぶりに笑った気がする、と言った。知らない曲ばかりだったが、どの曲もバカらしいようでなかなか深く、哲学的だった。

そうめん流し入り口のエレベーターの横に車いすが備えてあったので、乗ってみる?と聞くと、乗る、というので、父をのせて車いすを押すことになった。まさかオヤジの車いすを押すことになろうとは夢にも思わなかったよ、と言うと、オレもまさかお前に車いすを押してもらうとは思わなかった、と言い、そのうちお前も乗ることになるさ、ヒヒヒ、と笑った。フッ、まさか。

植木等のアルバムは32曲入りだったが、それが終わると、石原裕次郎のベストアルバムに切り替わった。夜霧よ今夜もありがとう、とかいう曲で始まったが、これがエコーたっぷりで、こんな曲を真昼間に車で聞くとは思わなかった。一方、父は、裕次郎は本当にいいな、と、ぶつぶつつぶやいていた。

機嫌のいい父を病院に送り届け、時計を見ると4時前だった。どこか海に行ってアイスクリームでも食べよう、ということで、いつもの海に向かった。

一人で砂浜を歩いていると、だんだんいつもの自分に戻っていく感じがした

山の上の美術館

天気が良かったので山の上の美術館に行ってみた

館内では『写真家 下薗詠子「脳内カオス」展』というのをやっていた。これがとてもよかった。どの写真も良かった。わけのわからない何かがビンビン伝わってきた

変な犬

いつの間にかヨッパライ某は中にいた

人食い花が後ろから襲ってくるところ。ドドドド

山を下り、東洋のナイアガラの近くで昼食。ほんとはウナギ定食にしたかったのだけど、高かった

空はまだ夏っぽい

ドビュッシーの曲に沈める寺というのがあるが、これは沈みゆく発電所

雨のドライブ

昨夜、父から「トイレに手すりをつけてくれ」と頼まれた。今日は天気も悪いし、たまには屋内で工作するの楽しいかも、と思い、まずは材料を買いに出かけることにした

しかし、材料を買う目的で車を走らせるのはつまらないので、どこかにうまいものを食べに行くついでに材料を買う、という名目にした。

漁港近くの寿司屋に行く途中にホームセンターがあるのに思い当たったので、さっそく寿司屋に予約の電話を入れ、車を走らせた。トイレの壁はタイル張りで、下地はコンクリート。タイル専用のドリルを使わないとタイルは割れてしまう。寿司屋の帰り、ホームセンターで手すりのほかに専用のドリルとアンカーを調達し、現場に向かった

工事は15分ほどで終了。コンクリートに穴を開ける音に驚いて、階下の住人が現場を見にやってきた。まったく休日に大きな音を立てるやつには困ったものだ。

真昼の金星は三日月だった

祝日にまつわる用事を済ませ、ドライブに出かけた。午前中は晴れていたのだけど、午後から薄雲が広がってきた。昼食後、空を見上げると、太陽のまわりに輪っかができていた

前から一度行ってみたいと思っていた施設に行ってみた。休館日と店の定休日が重なっていて、なかなか行けない

ドームに設置されている65cmカセグレン式反射望遠鏡。いいな~。これ、ぽっちい。係の人に、昨年、わが家の望遠鏡の鏡を洗った、という話をしたら、この望遠鏡の鏡も年に一度洗うんですよ、すごく重いです。と言って、取り外した鏡をのせる専用の台を見せてくれた。

ドームのスリットを開け、白昼の金星を視野に導入。あいにく空は薄雲が広がっていた。いくら高性能でも、これじゃ無理。半信半疑でアイピースを覗くと、そこにあるはずのない三日月が、うれしそうに手を振っていた。いや、それは三日月ではなく、金星だった

ボート

数日前の予報によると今日は雨だった。そういうわけで、今日は街に出て映画を見るつもりでいた。晴れたらドライブ、雨の日は街に出る。そういうパターンが多い

でも、朝起きると気持ちよく晴れていた。こんな日は海か山にドライブに出かけるのがいい。しかし、ヨッパライ某は映画を見るのを楽しみにしている。

予定の映画は、カメラを止めるな、という日本映画。先日、娘が見に行って、「とてもおもしろかったから見ろ」といわれているやつ。上映時間を調べると、朝9時30分からのがあった。

急いで服を着替え、海に近いところにある映画館へと車をとばした。急遽立てた計画はこうだ。映画を見て海沿いの道路を北に走り、バイパス沿いのイタリアレストランでランチ。昼食後、北西に進路を変え、山のてっぺんにある火山湖のほとりで秋風に吹かれる。

映画は、あまり期待してなかったのだけど、とてもおもしろかった。

山の湖では若いカップルが楽しそうにボートを漕いでいた。いつのころだったろう、ぼくもあんな風にボートを漕いでいた

automatic

毎日休もうとは思わないのだけど、週に二日くらい休めたらなぁと思うようになった。二日休みがあれば、一日は雑用に使い、もう一日は丸々好きなように使える

今日は定休日。定休日だけど、そのうち数時間は仕事に使った。ほかに、仕事中にはできない用事も片づけなければならない

仕事を毎日続けていると、いろんな情報が半ば強引に頭に入ってくる。栄養のあるもの、食べられないもの、毒の混じったもの、無駄なもの、わけのわからないもの、そのような異物が絶えず放り込まれる

そんなランダムなものに、順序や座標…秩序を与える時間はとても大切だ

特に何か決まったことをするわけではない。人の頭の中には、それをうまく処理する機能が備わっている。ぼくの場合、カメラを持って海や山に行くと、それが自然に働き始める

It’s automatic

さらば愛しき夏よ

松田聖子のアルバムにPineappleというのがあるのだけど、このアルバムは夏の間だけiPodに入れ、秋になったら消してしまう

今年も夏の初めに入れておいたのだけど、今日、海沿いの道路を走っているとき、その中の一曲がやっとかかった。3000曲以上をシャッフルしているのだから、まあ、しかたがない。ちなみに、渚のバルコニーはこのアルバムに入っている

白い入道雲はまだ残っている。でも、ぼくの中の夏は終わってしまった

シロクマを食べて海に行った

ひさしぶりに街に出た

シロクマを食べに。

そしたら海の夕日が見たくなって

いつもの食堂の前にある海に行った。

お日さまが海に沈むのを見ようと待ってたら、浜辺のスピーカーが、6時になったら駐車場の門を閉めます。なんて言い出した

車に乗って、南に走り、

別の砂浜に行った

砂浜の貝殻が夕陽を反射して光っていた