人生は複雑とは限らない。求めるものを知っていれば。
雨の降りしきる庭を眺めながら、一人考える
朝起きてカーテンを引くと空はイヤーな感じに曇っていた。おまけに風も強い。それなのに急遽、掛布団のカバーを洗濯することを思い立った。というのも5月だというのに未だ暖かい冬布団で寝ていたのだ。納戸から夏用の薄い掛布団を引きずり出し、掛カバーをはがして冬布団のカバーと一緒に洗濯機に放り込む。洗濯が終了し、物干し竿に掛ける。石鹸の匂いがプンと立ち昇る。ふとぼくは思った。たまには洗濯などに時間を費やすのも悪くない、と。もちろん、毎日しようとは思わないが。
お昼前に帰ってきたヨッパライ某が買い物に出かけたので、ぼくは冷蔵庫に転がってる適当な食材でパスタを作ることにした。ナスやパプリカを切りながら、ふとぼくは思った。たまには料理などに時間を費やすのもいいものだ、と。もちろん、毎日しようとは思わないが
昨夜はとても疲れていてブログを書いているうちに寝てしまった。
目覚めると時計は7時を回っていた。霧のかかった頭でコーヒーを点て、モヤの晴れない頭で本を読む。
夏用のスリッパを洗って干した。洗った後で気づいた。履いていた冬用のスリッパもいっしょに洗えばよかった。こういう失敗は年のせいとは考えないようにしている。
今日はどこにも出かけない。疲れているせいもあるが、第一、どこに行っても人が多い。昼食は洗い物が出ないよう、お好み焼きを作ることにした。冷凍庫にあったカニをたくさん入れてみた。マヨネーズはまずまずだったが、ソースとはマッチしなかった。そのまま食べるのが一番よかった。
熱帯雨林のプライムビデオでゴジラをやっているというので見てみた。お客さんが、とてもおもしろかったよ~、って言ってたし。アンプもプロジェクターも長く使ってなかったので、リモコンの電池が切れてたり、Wi-Fiにつなぐ機械のパスワードが消えてたりで復旧させるのに1時間以上かかった。
昨日の「内田樹の研究室」の記事がおもしろかったので以下に抜粋
現代日本の際立った特徴は富裕層に属する人たちほど「貧乏くさい」ということである。富裕層に属し、権力の近くにいる人たちは、それをもっぱら「公共財を切り取って私有財産に付け替える」権利、「公権力を私用に流用する権利」を付与されたことだと解釈している。公的な事業に投じるべき税金を「中抜き」して、公金を私物化することに官民あげてこれほど熱心になったことは私の知る限り過去にない。
税金を集め、その使い道を決める人たちが、公金を私財に付け替えることを「本務」としているさまを形容するのに「貧乏くさい」という言葉以上に適切なものはあるまい。今の日本では「社会的上昇を遂げる」ということが「より貧乏くさくなること」を意味するのである。
いや、ほんとうにそうなのだ。現代日本の辞書では、「権力者」というのは「公権力を私用に使い、公共財を私物化できる人」のことなのである。そういう身分になることを目標にして、人々が日々額に汗して努力している以上、国があげて「貧乏くさく」なるのも当然である。
私はもうこの貧乏くささにうんざりしている。貧しくてもいい。「貧乏くさくない社会」に暮らしたい。
それなら、どういう社会が「貧乏くさく」ないのか。とりあえず私が敗戦後の日本で見聞した「共和的な町内」はそうだった。他人の富裕を羨まない、弱者を見捨てない、私財を退蔵せずに分かち合う、公共財ができるだけ豊かになるように努力する。言ってみればそれだけのことである。現に大人たちがそのようにふるまい、それが「ふつう」なのだと子どもたちが思うなら、その社会は、たとえ物質的に貧しくても、「貧乏くさく」はない。私はできるならそのような社会に暮らしたい。
「公共財」を英語では「コモン(common)」という。原義は「入会地・共有地」のことである。囲いのない森や草原で、村落共同体が共有し、共同管理する。村人はそこで・・・
2024/05/01 コミュニズムのすすめ より抜粋
今日は祝日らしい。ネットで調べたら「昭和の日」だそうだ。ふーん。どうでもいいけど月曜が定休日のぼくにはあまり価値がない。でも、今日なら家族そろって誕生会ができるってことで、子供たちが今日を「ぼくの誕生会」という祝日にしてくれた
誕生会といえばケーキ。ケーキといえばローソク。みんなが見守る中、揺らめくローソクの炎を一息に吹き消す瞬間が誕生会のクライマックス。ぼくも数年前までは年の数だけローソクを立てて吹き消し、得意になっていた。だけど…あれは忘れもしない4年前、ついにその日がやってきた。数本のローソクを残したまま息が切れ、全部吹き消せなかった。そう、なにかが終わったのだ。以来、ローソクを年の数立てるのはやめてしまった。その日ぼくは心に想定外の深手を負ったのだ
今日は8本ローソクを立てた。何本でもよかった。いうまでもなく簡単に吹き消すことができた。ぼくは大きな拍手に包まれた