明日は何の日

明日は冬至。冬至の低い太陽を見るのが好きなので、明日を楽しみにしてたのだけど、どうやら明日は天気が悪くて見えそうにない。というわけで、今日の太陽の写真を撮った。金曜日の男の後ろにあるのが冬至一日前、午後1時過ぎの太陽なのです。

これはお昼過ぎに撮ったもの。太陽が低く、影が長い。

始めないことには始まらない

年末の大掃除を開始した。
あー、めんどくせーなー!
ダレか代わりにやってくれないかな~、
なんてブツブツ言いながら始めるのだけど、いったんやりだすとだんだん面白くなってきて夢中になってしまう。オレってバカなのかな

And Winter Came

山を越え、海辺の町の交差点にあるコンビニで120円のコーヒーを買う。向かい側に昭和にタイムスリップしたようなクリスマスイルミネーションがあるけど、未だ点灯しているのを見たことがない

昼食はいつものように漁港近くのスシ屋で。ヨッパライ某が、寒いから温かいのが食べたい、ということで、天丼

ぼくはエビフライにするつもりだったが、日替わり定食が好物の塩サバだったのでそれにした。770円。とてもおいしかったです。

海に面した美術館の屋上から冬の海をメランコリックな気分で見つめ続ける。風がとても冷たい。暗い。なにも浮かばない。冬モード

帰りに山の上の公園に寄ってみた

冬の足音が聞こえる

ムーミン谷のカバはもう冬眠したのだろうか

ぼくも春まで冬眠したい

イチョウは色づいていた

イチョウがやっと色づきはじめたというので見物に出かけた

落ち葉のじゅうたん

昼食は某河口にある漁協がやってる食堂で、ヨッパライ某お気に入りの焼きサバ定食。茶碗蒸しとサラダが付いて900円。今回はぼくもこれにした。とてもおいしかったです。周囲を見回すと刺身定食やエビフライ定食を食べてる人がほとんど

帰りに海に寄って波打ち際をぶらぶら。海が輝いてとてもきれい

暖かい一日

今日は第一火曜日で休み。数日前から熱を出して寝込んでいたヨッパライ某もだいぶ回復したようだったので、どこかで何か食べる?と聞くと、怪獣池でパンとコーヒー!というので、海岸線を南に向かった

潮が引くと渡れる島。今日は渡れそうもなかった

正午だというのに太陽は低い。冬だから

怪獣池横のパン屋で、ぼくは何とかグラタンサンドとホットコーヒー、ヨッパライ某は、サラダ何とかとアイスコーヒー。なんでアイスなの?と聞くと、口の中が熱いから、とのことだった。まだ完全には熱が引いてないようだ。

怪獣池の帰りに、海の近くのホームセンターに寄って新しいタイヤに交換した。ハンドルの切れが少し良くなったような気がするかも

半月ほど前から相手の声が歪むようになったので、そろそろ寿命かも、ってことで、ドコモのネットショップで16000円で売ってた格安スマホに機種交換。アプリを入れて設定の引継ぎ。夕食前には新しいスマホに切り替えることができた

休みだけど

今日は月曜日で定休日。いつまでも寝ていたかったが、朝一番でヨッパライ某を病院に連れて行かねばならない。病院の駐車場でヨッパライ某を待つ間、特にすることもないので近くのコンビニでコーヒーを買い、車内で本を読むことにした。ちょうど数日前、期限切れ直前のポイントでダウンロードしたチャンドラーの「さらば愛しき女よ」があったのでそれを読んだ。

一昨日の夜からヨッパライ某は熱を出し、昨日は店を休んだ。インフルエンザ、あるいはコロナかも、ってことで心配したが、病院の検査では陰性だった。いつもならドライブに出かけるのだけど、今日は一日寝てるから、ってことだったので、ぼくは一人近くの公園に出かけ、野良犬のようにうろうろ歩きまわった。夜は冷蔵庫の余り物で鍋にしたが、味噌で味付けをしたら失敗し、かなり落ち込んだ。

冬なのに

今日は定休日。天気がよかったので山を越え、南に走った

カツオで有名な港町で昼食。いつものようにヨッパライ某は船人めし、ぼくは戻りガツオのたたき定食。とてもおいしかったです

美術館横の公園でコーヒータイム。回転木馬でグルグル遊んでたら見たことのないチョウが飛んでいた。写真に撮ってネットで調べたところ、アオタテハモドキという南方のチョウで「九州や沖縄県の石垣島や西表島などに分布しており、九州では土着せず、定着と消滅を繰り返している」とのこと

帰りに山の上の公園で紅葉と落葉の写真を撮ろうと寄ってみたが、ほとんど色づいてなくて、がっかり

天体観測

昨夜は望遠鏡を持ち出して木星の観測会。空の状態があまりよくなくて、はっきり見えなかった。仕事をやめたら、いつでも天体観測ができるよう、空が澄んでいる見晴らしのいいところに温泉付きの別荘を買おう・・・たぶん無理だな

あしたは休みだ~~ってなわけで、今夜はナベ

オープンダイアローグ その2

仕事を終え、家に帰り着いてドアを開け、「ただいま~」と言いつつヨッパライ某の顔を見て思わず息を呑み、後ずさった。目の前に立っていたのは「お岩さん」だったのだ。庭で草取りをしていて右目の近くを虫に刺されたという。どうすればいいかわからなかったので、ご主人が医者をやってる友人に顔の写真をラインで送ったそうだ。返事は「ほんとに虫なの?」。DVと思われたようだ。

熱帯雨林に注文した本が届いた。10年くらい前に読んだ斎藤 環 著「オープンダイアローグとは何か」は、ちょっとしたパラダイムシフト気分を味わわせてくれたステキな本だった。その著者が、どうしても納得できないオープンダイアローグの謎について、ついに自ら立ち向かう、という内容の本らしい。ウフ

以下、本文より

目下の私の悩みは、もはやオープンダイアローグの実践と普及の難しさ、ではありません。自分でやっていながら、いまだによくわからないことがあるのです。つまり、「なぜ対話ごときで、精神病が治るのか」という根本的な疑問です。たしかに私たちは、複数の患者とともに、着実に回復の道を歩んでいます。オープンダイアローグがあれば、それができる。この点についての確信は揺るぎないものです。しかし「なぜか」がわからない。なぜ対話するだけで、これほどの変化が生ずるのだろう。なぜこんな「ふつうのこと」で、回復が起きてしまうのだろう。これはあえていえば、哲学的な疑間です。対話とは何か、人が変わるとはどういうことか、そして「回復」にはいったい、どんな意味があるのか。私のこうした疑問に対しては、ヤーコ・セイックラの著書やミハイル・バフチンの著作に、ある程度まではヒントや答えが記されています。しかし実際のところ、私はそれらの答えにまだ十分には納得していません。ここから先は、どうやら自分で考えていくしかなさそうです。そういうわけで私は、本書でオープングイアローグの「思想」を、可能な限り掘り下げてみようと思い至ったのです。