一日のうちで一番好きな時間。それは、一日が終わろうとする、この時間。
昼間、ぼくを動かしていた、いろんな働き手が、疲れてうたた寝を始める。
おやすみ、今日、働いた自分たち。
眠りに就こうとするぼくに、ぼくは子守唄を歌ってあげる。
ぼくの大好きな時間。ぼくの時間
くもり空
午前中は晴れていたが、だんだん雲が出てきた。どこかで飯を食おう、ということで、ポットにコーヒーを詰め、テキトーに車を発進させた
車は南に向かって走っていた。昨夜見た映画がさっぱりわからない、というヨッパライ某に、ぼくはレプリカントとは何か、という話を始めた。すると、カズオ・イシグロの、わたしを離さないで、の主人公たちと境遇が似ているね。今、帚木蓬生のヒトラーの防具、という本を読んでいるんだけど、そこでも同じ問題を扱ってるよ、と文学少女らしい意見を言った
山の上の公園に寄って、あまり色づいていないイチョウやカエデの写真を撮り、山を下って海の近くの食堂に行った
雨に濡れた堤防をのろのろ歩き、灯台の近くに行った。釣りをしている人が何人かいて、小さなアジが釣れていた
たまには自撮り写真でも
未来のことは誰にもわからない
Indian summer
早川書房 海外SFセール【50%OFF多数】(電子書籍、11/20まで)というのをやっていたので、とりあえず一つダウンロード。手に入れたのは一昨年、新訳で出たスタニスワフ・レムの「ソラリス」。ポーランド語オリジナルからの全訳。解説によると、1965年訳の「ソラリスの陽のもとに」はロシア語訳を底本とした重訳であるため、ポーランド語の言語の表現から微妙にずれている箇所が多く、検閲によって削除された部分がかなりある、のだという。以前この作品を読んだときには、切なく名状しがたい感動を覚えたのだった。人間とは何か、という問いは、こういう風に立てることもできるんだ、と作者が言ってるように思えた。でも、後になって、作者の意図は少し違うらしい、と思うようになった。というのは、タルコフスキーとソダバーグがそれぞれ映画化した時、レムは、意図したものとまるで違う、と言って怒りをぶちまけていたから。タルコフスキーのソラリスは大好きな映画なので、レムがタルコフスキーに、「あんたはバカだ」と言って喧嘩別れをした、という話を知った時は、ちょっとショックだった。主題に対するタルコフスキーの解釈が哲学、宗教的で気に入っていたからだと思う。今回、オリジナルからの全訳を読み進めるうちに、そのディテールの向こうに展開する世界観が今までの印象とは異なっていることに気づいて、新たな感動を味わえるのではないか、と期待しているのです
ベルトを交換
連休明けの朝
今日は父を病院に連れて行く日だった。検査は8時15分から。病院に着いたのが7時半。父をヨッパライ某に任せて、近くの山に登ってみた
月曜日の朝。ぼくは休みだけど、ほとんどの人にとって、3連休明けの憂うつな朝
堤防の向こうに、あまり見かけない船が浮かんでた
検査が終わったとの電話があったので、病院に戻った。検査の結果、何も問題はないとのこと。何か食べに行こう、ということで、山を越え、南に下って漁港近くの食堂に入った。おそらく食事代は父が出すだろう、と予想し、イセエビ定食を人数分たのんだが、すでに完売。単品なら一つできる、とのことでそれを注文し、タカエビ定食と寿司をたのんだ。とてもおいしかった。なお、当家では代々、親に金を出させるのが親孝行という習わしになっている。わけないか
ワニのニュース
つまらない事件があふれる中、ぼく的にヒットしたニュースがこれ。奄美大島にワニがいた、というニュース。だれかが逃がしたのだろうか。それとも海を泳いできたのだろうか
記憶のランドマーク
昨日、横浜にいる娘から電話があったそうだ。
「明日はあのバカでかいローソクに火を灯すんでしょ?」
この大きなローソク、ぼくにとっては大切な意味のあるローソクなのだけど、あれは忘れもしない数年前の今日の夜、このローソクが妻や娘にとっては意味のない無用の長物であったことを知らされた。そうとは知らなかったぼくは雷に打たれたようなショックを受けた

でも、横浜に住んでいる娘の脳裏に、実家のテーブルの上で揺らいでるロウソクの炎が不意に浮かんだのだとすれば、このバカでかいローソクもまんざら無用の長物だったとは言い切れない気がする




















