やっとおわった。やはりぼくはカッコよく生きられなかった。親友の一人が多大な借金を抱え、にっちもさっちも行かなくなっていた。会うたびに死にたいと漏らした。ぼくはどうすればいいのだろう。いろいろ方策を練ったが、いい案はないのだった。結局、ぼくにできることといえば、彼の借金の一部を肩代わりすることだった。簡単なことだ。深夜、「今オレは港にいる」という電話があった。それきり電話はつながらなくなった。車を飛ばし、堤防付近をずっと見て回った。海に飛び込みかねない様子だった。フェリー乗り場の待合室に彼を見つけ、家に連れ帰って泊まらせた。ともだちならどうする。持ってる不動産を売り、残債を引いて、少なくとも2000万は準備できる。彼の借金もそれくらいだ。親友とはいったいなんだろう。ぼくは決断できなかった。親友は店に来るたびに死にたいという。職もみつからない。夜中に目が覚める日が続いた。彼がかわいそうで悩んでいるのではなかった。自分の保身を優先する自分が許せなかった。今日、その友人が来た。いつもと様子が違う。死にたいとも言わない。明るかった。何かが見えたらしかった。ぼくはホッとした。でも、自分の醜さが変わったわけではもちろんなかった。彼は助けを求めた。ぼくは彼を助けなかった。彼にとって、ぼくは親友ではなかった。ぼくはカッコよく生きることはできない人間だった。
“カッコワルイ” への3件の返信
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答えは一つです。
「本人が肝を据えて行動していくかどうか」です。
2000万は当事者にとって天文学的金額でも、経験者から見ると「なんとちっぽけな金額」ですし、人間の個々の価値・能力はそんなハシタ金ではないです。
親友なら話・嘆きを聞いてやることは有っても、金銭的な手助けは絶対すべきでは有りません。親友との間にお金が介在したとたん、親友・友達ではなくなります。単なる債権者と債務者の関係です。
落ちる時はとことん落ちるべきです。中途半端が一番良くありません。落ちるだけ落ちて、そこから人間は這い上がる力を持っているのです。
それが人間力です。
親友と言うのなら、その人間の人間力を引き出し
行動するのを見守るべきです。それが親友です。
すべて私が体験・経験してきたことです。
今では本当に思います。
「落ちるだけ落ちてよかった」と
それが分からない方は「単なるアマちゃん」です。
先程のコメントに関して
スプーンさんがどれほど悩まれておられるか、すごく分かります。なのに私のコメントは直線すぎました、ご勘弁下さい。ついつい気持ちが入りすぎました(反省)。
通りすがりさん、ありがとうございました。読んでいて目からウロコが落ちる思いでした。思い起こせば、彼がぼくにお金を貸してくれといったのは2度だけでした。一度目は、ぼくの家に泊まった帰り、「バス代を貸してくれ」と言って数千円。二度目は、店に来て「弁護士に相談する費用が少し足りなかった」と言って、一万円借りていきました。それきりです。ぼくが勝手に、金を貸さなくてはいけないと思い込んでいただけでした。思えば、ぼくは彼に無礼を働いていたわけです。彼が借金を重ねたのは、母親が癌で入院したのがきっかけでした。多重債務者ではなく、借入先は一流の銀行一行のみです。彼はぼくがうらやむほどの高給取りでしたが、勤め先の社長とケンカをし、啖呵をきって辞めてしまったのです。その勤め先だったからこその職だったし、高給だったのに、彼はヘマをやらかしたのです。謝りに行けと言っても聞きませんでした。彼が強く後悔してるのは借金のことだけではなく、そのことも大きいと思います。ぼくは今までに、お金で友人をなくしてます。分かっているのに、ダメなんですね。通りすがりさん、ほんとにありがとうございます。新しく生まれ変わったような気さえします。それくらい、力のある言葉でした。