半月ほど前、店に若い男から電話があった。詳細は忘れたが、「BGM使用料を払え」という内容のものだった。てっきりサギだと思い、「忙しいから後にしてくれ」といって電話を切った。実際、この手の電話が多くて困っているのだ。一週間後、同じところからまた電話があった。今度は若い女性の声だった。
「○○と申しますが、BGM使用料の件で…」
またか。
「今忙しいので、こちらからかけ直します」
ぼくは番号を聞き出し、電話を切った。サギだったら、この番号でシッポがつかめる。番号は東京を示していた。電話をしてみると、そこは間違いなく音楽の著作権を管理しているという某組織だった。
「カラオケの著作権使用料なら知ってるが、BGM使用料などというものは聞いたことがない。詳しい内容のパンフがあったら送ってくれ」
そう言って、ぼくは電話を切った。
すっかり忘れていたのだが、数日前、そのパンフが届いた。今日、ひまだったので、封を切って読んでみた。
「2002年某月の法律改正で、CDによってBGMを使用される場合はBGM使用料を支払う必要があります。CDを使用しているなら、2002年某月に遡って使用料を支払うように」
なんじゃこりゃ~。
著作権使用料については理解できないこともない。しかし、2002年まで遡って使用料を払え、というのは腑に落ちない。CDはダメだが、ラジオは支払わなくてよい、というのがその内容なのだが、あらかじめそれを知っていたなら「うちみたいな小さな店はラジオで十分、CDは使いません」という選択もできたのに、と思う。実際、皇徳寺店ではFMラジオをBGMに使っている。
督促の電話が来たところをみると、うちの店は当局にリストアップされてたのだろう。だったら、支払い義務が発生する前に、パンフなり送って教えてくれればいいのに。これじゃあ、ぼくがパーを出したのを見てチョキを出すようなものじゃん。
ちなみに、ぼくの店の場合、年間使用料は税込み6300円だそうだ。安いもんだけどね。
支払いを済ませば某国営放送と同じような、ドアに貼る金ピカのシールがもらえるそうだ。ぼくはそのシールが欲しくなって、金を払うことにしてしまった。
“後出しジャンケン” への8件の返信
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くっ、こんな話を聞くと他人事ながらムカムカしてしまうなぁ。あ〇ま氏なら間違いなく徹底抗戦でしょう(笑)
しかし、2002年から使用していた証拠ってあるのだろうか?
著作権については、守られるべきものだという認識はあるのだけど、やり方がどうもね。ぼくはアマチュア無線の資格を持ってるんだけど、これについても、突然、降ってわいたように「電波使用料」というのが出てきて、しかたなく支払うハメに。もしかすると「音波使用料」や「空気使用料」もすでに法案化されてるかも。
>2002年から使用していた証拠…
ぼくも思ったんだけど、どうするんでしょうね。
で、遡って払うことは、免れられるのですか?
使用開始日時は自己申告になってました。
当局が現地に乗り込んで使用状況を調査するかは不明。
さぁ、あなたならどうする?(笑)
根拠はないけど、カラオケ・有線契約店以外の日本中のお店から徴収するということですよね。
こんな話通らないですよ。相手が正式な所ならあそこですが、全員公務員みたいな問題意識・仕事意識完全欠如人間の集まりですよ(頭は当然全員天下り)。
2002年から???
FMに代えて、無視してたら終わりの話です。
事前に案内もナシ・確認もナシ
詐欺と変わらないですよ!
そうなんです、たとえ小さなお店でも、気を利かせてラジカセ等でCD流したら、BGM使用料徴収の対象になるそうです。
http://www.chusho.meti.go.jp/faq/jirei/jirei013.html
しかし、それにしても、いつの間にこんな法律ができてたんでしょう。
「法の不知はこれを許さず」という法諺がありますが、フツーの人でしたら、だまされたと思わずにはいられないでしょうね。
人に聞いた話では、当局はお店を職業別電話帳かなんかで調べ、片っ端から電話してるようですよ。
そうそう、今これを読んでいるあなた。お店を持っているなら、近々電話が来ると思います。心のご準備を。
え?もう来ました?
【商売人の鉄則・当たり前】
根拠のないお金は絶対払わない
払ったお金は
天下り人間の飲み食い代金で終わり
こんなええ加減なお金払う人は
商売をやめた方がいいです。
我々大人と言われる年代は
いいかげんな世の中しか作れない?
汚い環境しか未来の子供に残せない?
なるほど、怒りを忘れた世代、戦わずして負けてるオトナ…。
せめて子供たちには、安易に不条理に屈しない後姿だけでも見せておきたいものです。
法律やマナーは、人のために人がこしらえたものです。そういう観点で見た場合、この法律の運用方法は、いささかトリッキーな感じがしますね。野球でいう「カクシダマ」を髣髴とさせます。法律で人を律するという概念には無理があります。「ならぬものはならぬ」と教える、武士道のようなものが社会には必須なのではないでしょうか。子供たちに明るい未来を残したいと思う親の一人として。