午前中いらしたお客さんは、朝一番で映画を見て、その帰りに寄ったのだそうだ。何を見たんですか?ときくと、高倉健が出ているやつ、といった。ずいぶん年をとっていてびっくりした。見ないほうがよかった、と、さびしそうにいった。昼過ぎいらしたお客さんも、どういうわけか同じ話を始め、同じようなことをいった。ぼくは邦画には興味がないけど、ちょっと気になってyoutubeで予告編を見てみた。おじいさんになった高倉健がいた。夕方、twitterでつぶやいたら、ある人がそれに応えてwikipediaの人生時間という項目にリンクを張っていた。それによると人生時間とは人生を1日の時間であらわしたもので、年齢を3で割ることで算出される。30歳の人は午前10時といった具合。ぼくはおそるおそる電卓を叩いた。表示されたのは店の閉店前の時間だった。なるほど、と思った。そこでふいに高倉健のことを思い出し、電卓を叩いた。出てきた数字を見て思わず吹きだしてしまった
“人生時間” への5件の返信
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わたしの場合,そろそろ仕事のラストスパートってとこで,晩酌のことが頭をかすめる時間帯でした。
これからの人生,どう楽しむか考えてもいい年かな。
こんばんは、人生時間ですか
特にチャチャ入れる気は毛頭ないのですが
例えば僕はこう考えます
生まれたばかりの赤ちゃんがいて、それが難病にかかってるとしたら…
例えば
格闘技のチャンピオンなのに、事故に遭ったら…
例えば、120歳まで生きられる天命を持ってるひとがいたら…
50歳でまだ人生の半分にも達していません
こう思うと、所詮まやかしの計算にしか思えません
この計算に思わずたそがれてしまいそうですが
これは我々、「人」が決めるべきものではないと確信しております[E:scissors]
もう一度申しますが、ただの僕の考えです(お気を悪くしないで)…ネ[E:sweat01]
☆marutaさん、晩酌をされるんですか。それはかなり意外でした(笑)
これからの人生をどう楽しむか。そろそろ、そういうことを真剣に考える年なんでしょうね。以前読んだ、五木寛之の「林住期」を思い出しました。いわく、前半の五十年は、世のため人のために働いた。五十歳から七十五歳までの二十五年間、後半生こそ人間が真に人間らしく、みずからの生き甲斐を求めて生きる季節ではないのか―。林住期こそジャンプの季節、人生のクライマックスである。(amazonからの引用) ぼくはもう手遅れですが(笑)
☆islandeyeさん、まったくおっしゃるとおりですね。物事はいろんな角度から見なければ、本質を見誤る可能性があります。正面から見たり、斜め45度から見たり、下から鏡に映してみたり。ちなみにぼくは無理に変な角度から物事を見ようとする困った癖があります(笑)
「臨終期」ではなく「林住期」読んでみました。50を目前にした私にはいい本です。捨てるとかあきらめるとか負のことからはじめると楽になりそうです。人生,まだまだですね。
林住期の準備、marutaさんの年齢なら、まだ間に合いますね。ぼくはもう手遅れですが、この本のおかげで、自分の年齢の座標を再確認できました。夜が長くなってくると、自分を見つめる時間が増えてきます。そしてつくづく思います。自由になるのって、難しいなぁ