blog「つれづれなるままに」のナスがママさんに誘われて、今朝、南州寺というお寺に座禅を組みに行った。寺に着いたのが5時50分。夜明け前の一番寒い時刻。玄関の前で、ナスがママさんと、お誘いしたblog「Marutaの部屋」のmarutaさんを待った。三人そろったところで、広間に上がり、畳に置かれた座布団に座って脚を組んだ。(そのあたりの様子を、昨年1月に同様の体験をされたナスがママさんがブログに詳しく描いてらっしゃるので、興味のある方はそちらをご覧になってください。)
禅を組み、しばらくぼんやりしていると、ふしぎと頭が冴えてきた。遠くで小鳥の声が聞こえ、風がそよぎ、波の音が感じられた。もちろん、部屋は締め切られているので、そんなはずはないのだが。ほんのひと時だったけど、少し何かが分かったような気がした。それは、分からないからこそ分かる、というようなこと。
“座禅” への5件の返信
コメントは受け付けていません。
座禅、いかがでしたか?
スプーンさんのわかったことは、本日の禅問答で「不識とは」という問いに「知らん」と答えてました。
禅問答とは最初は何を言っているのかまったくわかりませんでしたが、時々理解できるようなことがあります。
また、今日は背中を叩いてもらおうと思っていたのですが、あの迫力には恐れをなしてしまいました。
また、次の機会に・・・と思っております。
ナスがママさん、今日はありがとうございました、いい体験をさせていただきました。最後のほうで、突然大声で「ダルマがなんとか」とか、「知らん」とか言い合ってましたが、あれが禅問答だったんですね。ぼくは劇でも始まったのかと思い、びっくりしました(笑)
でも、その内容が、今回ぼくが感じたことと同じようなことだったとは、正直、びっくりです。あそこに座っていて、ふと、分かっている、知っているということは、しばられていることだな、と思い、分かっていること、知ってることから開放されれば見え、聞こえ、分かり、知ることになる、というようなことを感じたのです。ドライブばかりしてないで、たまにはこういう体験も大事なんだな、と思いました(笑)
《二度とない人生だから》
by 坂村 真民
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳をかたむけてゆこう
二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないようこ
こころしてゆこう
どんなにかよろこぶことだろう
二度とない人生だから
一ぺんでも多く便りをしよう
返事は必ず書くことにしよう
二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう
二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だから
のぼる日 しずむ日
まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの星星の光にふれて
わがこころをあらいきよめてゆこう
二度とない人生だから
戦争のない世の実現に努力し
そういう詩を一篇でも多く作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる若い人たちのために
この大願を書きつづけてゆこう
私の好きな詩の一つです。[E:smile] スペースを取ってしまってごめんなさい。
ナスがママさん,スプーンさん,座禅会のお誘いありがとうございました。[E:smile]初めての事だったので何がなんだか分からぬまま,あっという間に終わったという感じです。前日はちょっと風邪気味でやっぱりやめようかなーと思ったりもしたのですが,いろいろな雑念を払って自分を見つめ直す時間は貴重だなーと実感しました。帰ってから温泉に入りたくなり,厄払いをしてもらってからゆっくりお湯[E:spa]につかりきました。夜もぐっすり眠れて今朝は気分がいいです。[E:shine]また行きたいなー。[E:happy01]
☆chikako~♪さん、この詩には感謝の気持ちがあふれてますね。ぼくは時々なにかの拍子に(たとえば、がけっぷちに立って、風に吹かれているときなど)、自分がとてつもなく卑小なものだと実感するのですが、なぜかそのときに感謝の気持ちでいっぱいになって、思わず歌ったり、踊りたくなります。ぼくって、やっぱり変でしょうか(笑)
☆marutaさん、昨日はどうも。おもしろかったですね、またいつか行きましょう。フト思ったのですが、marutaさんは法衣が似合いそうですね。