年をとるって、どういうことなんだろう。ただThe Endに向かって駒を進めるだけなんだろうか。
「生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉」105歳の医師、日野原重明氏が、死の直前まで語った、希望と感謝の対話20時間越。最後の力を振り絞り伝えたかった言葉とは。
うーん、表紙の写真がなんだか切ないね。「キミ、お先に失礼するよ」って感じで
以下、本文より抜粋
というのも、100歳を超えたあたりから、自分がいかに本当の自分を知らないでいたかということを感じるからです。世の中でいちばんわかっていないのは自分自身のことだ、ということに気づくことができました。これは、年をとってみないとわからない発見でした。
「人生の午後をどう生きるか。選ぶ物差し、価値観が必要で、自分自身の羅針盤を持たなくてはならない。午後は午前よりも長いから」
80代の頃の僕が書いた言葉です。僕なりに自分自身の羅針盤を探求し生きてきたつもりでしたが、100歳を超えた今、「ああ、今まで探求してきたことはほんの一部であり、真の意味では、僕はまだまだ自分のことをまったく理解できていないのだな」と心から感じるようになりました。80歳の頃の自分がかわいかったなとさえ思います。
こういうと、これまでの人生を否定しているように聞こえるかもしれませんが、そうではなく、105歳の今、未知の自分を知ることができたという気づきに価値があるのです。人生の午後が長いということは、幸せなことです。
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最近になって、ぼくもそう思うことがあります。「自分がいかに本当の自分を知らないでいるか」ということを。
そういや、こんなジョークがあったっけ。
「自分を知るには一生かかる」
なお、今日の表題はBob DylanのAre You Readyを想起したのでこうなりました(笑)