先日、山の向こうの海に行った。夏の疲れからだろうと思うのだけど、昼までベッドに横になっていた。時計が12時を回った頃、波打際を歩けば気分がよくなりそうな気がして、ぼーっとした頭で海に出かけた。波打際にはクラゲが打ち上げられていた。午後の日差しを浴びてエメラルドに輝いていた。まだ生きていて、心臓のように鼓動している。その時ぼくには海の心臓のように思えてならなかった。クラゲ、という名前を付与されたせいで、世界から遊離し、独自に存在しているように見えるが、その時ぼくには海の器官の一つに感じられた。いま、台風が南の海を北上している。何か物思いにふけっているように迷走している。まるで生き物のように。でも、言うまでもなく台風は台風として自立しているのではない。あれは自然が平衡を保つために生じさせたガス抜きの穴でしかない。見方によってはクラゲも台風も同じように見える