昼過ぎ、珈琲を飲みながら何気なく窓の外を見ると、晴着姿のきれいなお姉さんが俯きがちに歩いていくのが見えた。そうか、成人式か。ぼくは遠い目になってセピア色に変色しつつある自分の成人式を思い浮かべた、はずだったが、自分でも驚くほど何も浮かんでこなかった。ぼくはあせった。寄せる波に砂山が洗われるように、ぼくの記憶もここにきてついに押し流されはじめたのか、みたいな。しかし、思いめぐらして程なく、このブログに自分の成人式の記事を書いたのを思い出した。ブログ内検索で「成人式」を検索すると3つの記事がヒット。その一つが自分の成人式当日の出来事を描写したものだった。成人式の決意、と題したもので、友人たちが「今日から禁煙するぞ」と誓ったという、くだらない記事。それを読んでぼくは訝った。今のぼくにはその記憶がない。思い出そうとしても、何一つ浮かんでこない。ふつうに考えれば、それはエージングに起因するものだから仕方ない、と、苦笑いしつつ納得すべきことなのだろう。しかしここでぼくは脳の記憶システムについて書かれた本の記事を思い出した。それによれば、人間の脳に収まっている記憶はハードディスクなどの記憶媒体に記録したデータとは違い、それを呼び出して再生するたびに編集、加工されてしまう。そして元の記憶はそれに上書きされてしまうのだ。だから、成人式の記憶を思い出し、それを再生した時点で、その思い出はリメイクされ、オリジナルとは異なる記憶になって置き換えられてしまったのである。だからセピア色の記憶の中にそれを探しても見つからない。新しい記憶になってしまったのだから。そういうわけで、もしあなたが大切な思い出をオリジナルなままで保存しておきたいなら、その思い出は決して思い出してはいけないのです