Think

一日に3回も違う人から、
「あなた、考えすぎですよ」
といわれると、日頃あまり考えないぼくでも考え込んでしまう。
そうかな、ぼくって、考えすぎなのかな。う~ん
自分では分からないわけですよ、
他の人に比べて考えすぎなのかどうか。
というわけで、考えすぎ、って、どういう事なのか、ちょっと考えてみたんですが、それは例えばこういう事なんでしょうか。
10円玉をピーンってはじいて、裏か表か考える。
裏だろう…いや、表だ。うんにゃ、裏に違いない。
ふん、そんなことは考えても無駄だ、と、ぼくは考えるわけです。
だから考えないことにするわけですね。これ、考えすぎでしょうか。

“Think” への3件の返信

  1. 私はまず どっちが表なんだろう??って考える。
    10の方が表ですよね??
    と 1歩踏み出すところから 毎日悩む私ですよ。
    おやすみなさい
    久しぶりの夜更かしでした~

  2. ロダンの《考える人》は、何を考えているのでしょうか。
    私は考える前に検索[E:search]することにしました。
    [E:clip]ロダンは1880年、《地獄の門》の注文を受けてから、門の上に立って、足下に広がる、ダンテの『神曲』に記された地獄の悲劇を見つめる「ダンテ像」を門に組み込むことを考えていた。
    やがて、《考える人》は《地獄の門》から切り離され、《詩人》という名によって1888年、コペンハーゲンで初公開される。  
    岩の上に腰をかけ、両手両足に力を込め、全身の筋肉を緊張させて、地獄に落ちた人々の運命に思いをめぐらしながら、「考えること」にだけ集中している。
    ふ~ん。 
    「考えること」って自由だし、
    『我思う、ゆえに我あり』
    だから考えることを愉しみましょう↑(^^_)ルン♪ (笑)

  3. ☆べにこさん、そうです、10エンって書いてある方が表です。ぼくもその主義です。だれがなんと言おうと。ところでぼくは綺麗な人がそれなりに悩んでいる姿って、美しいと思います。
    ☆chikako~♪さん、ロダンの考える人が何を考えているのかなんて、考えもしませんでしたが、そういうことなんですね。地獄に落ちた人の運命。ふとカラマーゾフの兄弟に出てくる葱の挿話を思い出しました。ぼくだったら、自分自身が地獄に落ちた場合のことを考えるでしょうね。そして、蜘蛛だけはいじめるのをやめておこう、という結論に達する気がします。

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