blossom

090220_01
ぼくは花に女性を重ねるから、霧がかかったような、ピントの合ってない、ぼけた写真を撮る。そうした佇まいがぼくの中にある花の真実に近い。女性は神秘的でミスティな存在だ。霧の向こうから手招きをするが、ぼくは永遠に近づくことはできない。美化する気などまったく無いのだけど、そのうちにある目に見えないものが、まさに見えない。そこでぼくは不思議に思う。女性は花を見て、花以外の何かを感じるのだろうか。まさか、男を感じることは無いと思うけど。

“blossom” への3件の返信

  1. 薔薇には女性を感じます。
    堅い蕾から満開……..
    女性の一生に例えられそうです。...。......
    散る時も美しい花びらをひらりと落とし・・・・・
    なぁ~んてね[E:tulip](*^^*)ポッ

  2. お久しぶりです (;^_^A アセアセ・・・
    確かに女性を「花」に例えますよねぇ~。
    「花」を「華」と例える事も。
    また「蝶」にも例えますよねぇ~。
    「華やかな女性」「夜の蝶」などのように・・・
    女性は、常に変化しているのかもしれませんね(笑)。
    もし私が女性的な立場で花を見たとしたら「美の象徴」とでも言いましょうかねぇ~(笑)。
    それでは・・・。

  3. ☆chikako~♪さん
    いろんな花があるけれど、薔薇はぼくにとって特別です。薔薇の前に立ち、カメラを構えてはみるものの、シャッターが押せない。キザな言い方ですが、薔薇の心が読めなくて(笑)。できたら、心が通じた、と思える瞬間にシャッターを押したいのだけど、そこに見えない壁があって、近寄れないのです。昨年撮ったバラの写真、よかったら見てみてください。
    http://coffee.synapse-blog.jp/life/2008/11/post-ecc9.html
    ☆9時から男さん
    >女性は、常に変化しているのかもしれません
    なるほど、そうですね。
    オトコから見て、女性はいろんなものに例えることができます。花、ネコ、星、海、太陽、etc…
    おととい書いた村上春樹の考えを借りるならば、これはホラ話ではあるけれど、そこには普遍的な真実がちゃんと備わっている、ということになるでしょう。女性の中には、真実として、花、ネコ、星、海、太陽などが間違いなくあるのです。オトコにはちゃんとそれが見える。というより、オトコはそういう世界、物語の中に生きている、ということなんでしょうね。

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