鍋はココロを映す鏡である

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今からいつになく余計なことを書こうと思う。などと、わざわざこんなことを書く必要はない。言うまでもなく、いつも余計なことを書いているからである。というわけで、突然、今から鍋について話そうと思う。ぼくは鍋料理に春菊を入れるのが好きだ。そこで、在りし日の春菊を思い浮かべながら、それを煮立った鍋に放り込もうと思うのである。春菊はきっと、さんさんと降り注ぐ太陽の光を浴び、冷たい北風に吹かれながらも、うれしそうに伸びていた。ああ、幸せな春菊。次に、もし、鍋に牛肉を入れるならば、同様に在りし日の牛さんを思い浮かべるのである。あの穢れを知らない澄んだ瞳はどうだ。だれだって、あの潤んだ瞳で見つめられれば、何かを省みずにはいられないような、いたたまれぬ気分になるものだ。もしかするとあなたは感極まって、鍋の牛肉を探りながらドナドナをハミングしてしまうかもしれない。次に、もし、鍋に魚を入れるなら、同様に在りし日の魚さんを思い浮かべてみる。青い海を自由気ままに泳いでいた幸せな魚さん。次に…