世間の生活は他人のものである

だれだったのか思い出せない。ずいぶんむかしのことだ。その女性は「わたしはコールガールになりたい」と言った。その時ぼくはどう答えただろう。おぼえていない。どうしてこんなヘンな思い出をわざわざ書くかというと、さっき植島啓司さんのコラムを読んでいたら、
ジャネット・エンジェル『コールガール』(筑摩書房、2006年)を読んだ
という記事があって、それがとても興味深かったからだ。たとえば、こんなくだりがある。以下引用
チェスナットヒルにひとりで住むほっそりとした男との一夜は印象的だった。彼はジェンに下着姿になって化粧するところを見せてくれと言う。「それだけでけっこうです」。そして、彼に次のように話しかけてくださいと言うのである。
 彼はベッドの足もと側にあるルイ十五世様式の椅子に腰かけた。「こう言ってください。『お母さまはね、お父さまとお出かけする仕度をしているのよ』」細く震える声で言った。まるで遠いかなたから聞こえてくる声のようだった。「『シッターがまもなく来るわ。今夜は、お父さまがわたしを夕食に連れて行ってくださるの』」
 たいていのコールガールは彼を笑いものにするか、楽な客だったとせせら笑うことだろう。だが、彼女の場合は違った。
引用ここまで。
ぼくはたぶん一人の男であるけれど、いったいぼくは何なのか、どこから来たのか、さっぱりわからない。でも、こういう文を読むと、どこかに手がかりがありそうな予感がして希望がわいてくる。

“世間の生活は他人のものである” への7件の返信

  1. はあ~っ、いいなあ、こういう交錯世界。
    めっちゃ、ワクワクしましたよオ~☆
    最後まで、退屈しなかった、えへっ!!
    また、こういうの見つけたら、紹介してね~。
    冷や汗が・・・・、うふっ・・・

  2. おもしろかったでしょ、コレ。
    ぼくも好きなんだよなー、こーいうの。ビョーキかも。
    ついでに、同コラムの「西鶴置土産」も読んでみたら。
    コレもなかなか良かったよ。
    こんなのが、タダで読めるなんて、シアワセ~!
    ちなみに、このコラムの内容が、そのまま本になってたりしてます。

  3. これは別にビョーキというレベルでも、倒錯ということでもないでしょう。
    男が持っている性への欲求は即物的でもあるけれど、根本的にはきわめて精神的なもので、性を含めた男の精神性の高さをかなり象徴的に表現しているのだと思いますよ。

  4. そうですね、まことに、そうとしか思えません。ぼくは、寝ても覚めても、このことばかり考えてます。きっと、ぼくにとって、重大な何かがあるんだと思います。でも、こういうことを真剣に人に話すと、変な人と思われますけど。
    ところで、もしaquilaさんが女だったら、コールーガールになってみたいと思うでしょうか。ぼくは、このコラムを読んで、そのことをずっと考えてました。ぼくはコールガールになれるだろうか、って。そして結局、女になってみないとわからないな、という、平凡な結論に達してしまったのです。

  5. こんにちは。
    不思議な話ですね。
    でもその男の人は「体」より「心(真心)」が欲しかったのかも?。と9時から男は思います。
    とある映画のセリフで「売春婦は体は売っても心だけは売らない」と言うようなセリフがあった映画を覚えています。
    また、とあるラジオでAV女優の方が「男のする事はみんな同じ・・・。天井の節でも数えていればいつかは終わる」とも聞いた事があります・・・おぬしはどんな番組を見たり聞いたりしているの(笑)[E:coldsweats01]
    まっ。ともあれ、人の心、女性の気持ちは男性には理解できないところがあるのかもしれませんね。
    それでは・・・。

  6. 父親から性的虐待を受けて育った女の子が大人になると、多くの男性とお付合いする傾向だと(福祉の番組だったかな)聞きました。
    50人100人・・・・
    比較的早くに男性を酔わせて、女性は男性の腕枕に心を休める。
    勿論プラトニック。
    そんなばかな~と男性の自尊心が傷つくかもしれないけれど、胸に顔をうずめて腕枕をしてもらうなど、自分の父親ではない父性を求め続けるらしいのです。
    また脱線してしまいましたね、ごめんなさいJ^o^L

  7. ☆スプーンは私をかわいがるのがとてもうまい。
    ただし、それは私の体を、であって、心では決して、ない。
    9時から男さん、これは山田詠美の小説、「ベッドタイムアイズ」の冒頭です。実をいうと、ぼくのハンドルはここから来てるんですよ。時間があったら一度読んでみてください。とてもいい作品です。ところで、心は自分の意思でまもれると思いがちですが、たぶん、それは違うのだと思います。自我を壊さない努力はできると思いますけど。あ、よかったら、吉行淳之介も読んでみてください。ぼくが穿った態度で女性に臨むようになったのは、この作家の影響だと思います。
    ☆OTOさん、これはインナーチャイルドという概念を用いると理解できそうな問題ですね。この女性は極端な例かもしれませんが、だれもが多かれ少なかれ、子どものときの体験が人格の形成に大きく係わっているのだと思います。もちろん、ぼくもそうです。そこを客観的に見ていくことで、自分の形が見えてくるような気がします。でも、それは形なのであって、形自体は本質ではない、と、ぼくは考え、日々、それを探っています。あ、ぼくも脱線してしまいました(笑)

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