玄関の脇に置いてある手水鉢にボウフラが20匹ほどいる。
ちゃんと数えたわけじゃないが、多分、それくらいいる。
ひまがあれば、ぼくはボウフラを見ている。
ボウフラはおもしろい。あの動きがすごく良い。
もし、欲しければ、分けてあげてもいい。
きっと、あなたも気に入るだろう。
(店まで取りに来られる方に限ります)
“ぼうふら” への8件の返信
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玄関の脇に置いてある手水鉢にボウフラが20匹ほどいる。
ちゃんと数えたわけじゃないが、多分、それくらいいる。
ひまがあれば、ぼくはボウフラを見ている。
ボウフラはおもしろい。あの動きがすごく良い。
もし、欲しければ、分けてあげてもいい。
きっと、あなたも気に入るだろう。
(店まで取りに来られる方に限ります)
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よし!スイカと交換ね(笑
わらしべ長者みたいだね(笑)
こんにちは。
「蚊」になってから頂きにいきます(笑)。
それまで、逃げられないようにお世話をお願いします[E:coldsweats01]。
それでは・・・。
了解しました。
飛んでる蚊は好きじゃないので、全部差し上げます。
よろしくお願いします。
僕も、小さい頃は、「ぼうふら」見てるの、好きでした。あの、くねくねして、回転したりする姿に、我を忘れたものです。そのほか、「おたまじゃくし」をジーッと見てたり、、、。そんな、少しボーッとした、少年でした。
あれから、20数年経ちましたでしょうか、、、。実利的なことばかり気にしているような気がします。あの、透き通った時間は、どこへ行ってしまったのでしょうか。
まだ、少年の心をお持ちのスプーンさんに、敬意を表します。
透き通った時間、って、いい表現ですね。
ぼうふらも、おたまじゃくしも命を持ってます。かずさんは、音楽が好きだと思うのですが、音楽は、言葉や絵や写真と違い、時間がないと成り立ちません。音は時間を内包するものだからです。一方、命にも時間が内在します。命あるものを眺めるのは、調和の取れた音楽を聞く行為とよく似ているんですよね。命、音楽。時間。ほんと、不思議ですよね。
ミヒャエル・エンデ作の「モモ」という童話に、こういうくだりがありました。スプーンさんのおっしゃる事と似ています。
>時計というのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。
主人公は、この時間という”音楽”を、「命」として感じ取っていたらしいです。
時間とは、神が与え給うた、「命」なのかも知れませんね。
☆かずさんは、まだお若いから、レコードプレーヤーをいじったことがないかもしれませんね。レコード盤をターンテーブルに載せ、回転が安定したら、静かに針を下ろす。やがて音楽が流れ始める。
ぼくは時々、こんな遊びをしてました。レコードに針を載せ、指でレコードを回すんです。手動ターンテーブル(笑) すると、音が伸びたり縮んだりして、時間が狂ったような音楽になる。指を止めると音楽も消える。ぼくは時間を操る神様になったような気分(笑) ぼくたちの世界も、神様が休むことなく回し続けているのかもしれませんね。
命も時間も、自分のものであるように思えて、自分の自由にはなりません。与えられていると考えるべきなんでしょう、きっと。