わからないってことがわかる

071005_01
生物と無生物を分けているものはなんだろう。生命とは何?
身近で単純な疑問なのだけど、だれも答えられない。
生物学者、福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」
太い文字で書かれた「生命とは何か?」というサブタイトルにひかれて、どんどん読み進んでいくと…
作者あとがきの、最後の3行に行き着く。
本を閉じ、ぽつりと読者はつぶやく。
「生命とは何?」

“わからないってことがわかる” への2件の返信

  1. 税理士を生業とする私のいとこからの暑中見舞いの葉書のコメントに、この本を読んだことが書いてあり、『生命とはなにか』(エルヴィン シュレディンガー著 )を読んでみようと探したそうです。
    岩波新書は絶版で図書館でも見つからず、やっと見つけた図書は昭和26年の発行で、手に取ると今にもパラパラになりそうな古いものだったそうです。2人の訳者の方も一方は亡くなり一方は行方不明ということで、本のコピーも得られない。
    因みに、原書はケンブリッジ大学が著作権を持っているため新品を2週間程度で手にすることは可能だったそうでが、英語ができない彼にとっては著作権法の高く長い壁を知った、夏の始まりだったそうです。
    今ごろ果たして、彼は壁を攀じ登ろうとしてるのかな~?
    それとも諦めたかな~(謎)笑))))))))。(^-^)/~

  2. いとこさんが、「生命とは何か」という疑問を持った瞬間から、遠く長い旅がはじまった、と、いえるかもしれませんね。ぼくの場合はそうです。いまだに考え続けてますから。福岡氏のこの本を読んでいくと、たとえば生命の有り無しは理解するのではなく、感得するもの、といった風合いのくだりがあって、西洋科学にない、どこか東洋的なニオイが付きまといます。あえて予言するのですが(笑)、例え、エルヴィンシュレディンガーを読んでも、その疑問自体は深まるばかりで、結局、疑問の無意味な大きさに気づくだけなのだという気がします。なぜこのような大胆なことを言い放つのかといいますと、それは彼ら西洋人とわれわれは同じ人間でありながら感性がカナリ違うので、同じテーマで思考実験を行うと、その発想から相当な違いが生ずると思えるからです。いとこさんは、もちろん日本人だと思いますが、日本人には、エルヴィンシュレディンガーら西洋人が持ち得ない独自の感性が自然に備わっており、生命に対しては例えば畏怖の念として既に日常的に感得している、という気がしています。西洋人に比べ、日本人は自我の壁が薄い、という言い方をされることがありますが、自らをも森羅万象の内側に置く日本人の自然観がそれを可能にしているのではないかと思います。そういう意味で、いとこさんを含むわれわれ日本人は、この分野においてある面、エルヴィンシュレディンガーらに勝る天才を持っているといっていいんじゃないかと思う今日この頃なのです。どうでもいいことをずいぶん長く書いてすんません(笑)

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