F少年から借りた茂木健一郎、江村哲二著『音楽を「考える」』を読んだ。今をときめく脳科学者と作曲家の対談。おそらくクオリアについての対談だろうが、果たしてこの二人はうまく噛みあうのだろうか。噛みあわぬゆえに陳腐な話題に終始したんじゃあガッカリだ。こちらはスリリングな会話を期待しているわけだから、と、余計な心配が一瞬脳裏をよぎった。しかしそれはぼくならではのチョー浅はかな危惧であった。ぼくの描いていた音楽家像があまりにプアだっただけのことなのだ。ぼくは音楽家に対し、民衆に娯楽を提供することに生きがいを感じる道化者、みたいなイメージを拭い切れずにいたのだった。音楽に対しても、人生を彩る装飾品、小道具程度に軽視しているフシがある。クオリアという概念は脳科学の最前線のテーマになっているが、当対談によると、音楽、とりわけ「聴く」行為は脳科学(哲学?)の最も深いところに位置しているらしい。今回の二人の対談は科学というツールが及ぶぎりぎりの最先端、最深部で成立しており、換言すれば、音楽の最深部は脳科学の最先端と重なっている、といえる。これがおもしろくないワケがない。
対談をはじめ、双方向的な意思伝達が成立、成就するには共通のフィールドが必要だ。相手の意思を忠実に再現するための再生装置を自分の中に持たねばならない。(友情が恋愛に勝るとするなら、理由はコレかもしれない。余談ですが)音楽家、江村哲二氏はもともと理系の出身なんだそうだ。一方、茂木健一郎氏は音楽に限らず、クオリアを生ずるあらゆる現象を独自の哲学で把握しようとしている。こうして二つのhi-fi(高忠実度)なコンポーネントがある日接続された時、そこに創造とでも言うべき揺らぎが発生し、やがて混沌は秩序に収斂され、音楽となって世に現出するかもしれない。ちゃららーん♪