南の島からタンカンが届いた。変な名前だけど、タンカンはネーブルに似た、すばらしくおいしいミカンだ。ミカンは不思議だ。ミカンを手に載せ、眺め、その皮をむくとき、ぼくは我を忘れて感慨に耽ってしまう。「見事な作品だ。信じられん。不思議だ。奇跡だ」などとブツブツいいながらミカンをむく。家人は「また始まった」とばかり、げんなりした顔をする。ミカンを設計した創造者に思いをはせるとき、ぼくは感動のあまり涙が出る。愛より出でたと思われる恐るべき美意識を以て仕事に臨んだ、目に見えないサムシンググレートに対し、感謝というより、原初的な畏れに似た全身的な情動で、思わずひれ伏したくなる。ミカンを前にひれ伏してるぼくを想像すると、自分でも笑ってしまうのだけど。
“オレンジは好きかい?” への10件の返信
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もう最高に好き??! 南の島のタンカン?
食べてみたい((o(> <)o))うずうずっ・・・・
土佐文但も取り寄せるほどの柑橘系大好き人間(^^;)。
南の島繋がりということで、「南の島のゴミ革命」
http://www.tv-asahi.co.jp/earth/
ぼくはネーブルが大好きなんですが、あのお値段がキライ。タンカンは県内の屋久島で栽培されてることもあって、安いんです。果肉はネーブルによく似て、むっちりと詰まってジューシー。中の皮も薄いので、そのままカンタンに食べられます。ぜひ、食べてみてください。
家の畑で父が野菜を作っているのですが、先日キャベツを収穫しました。
根元から切り取った時、その重さと神秘的な形状を見て「こりゃあんた、神様の化身だよ(ちびまるこちゃん風)」と思い、同じくひれ伏したくなりました。
あの時の感動といったら、そりゃもう勢いで祠を作りたかったくらいで。
オレンチもオレンヂがメチャクチャ生るのですが
スが入っていて、決して美味しいとは言えません。せいぜい、“トリのおやつ”が関の山・・・・
タンカンは美味いですね。感嘆するばかりです。
ウチでもタンカン作ろうかなぁ~
ソノキモチ、ひっじょ~にわかりますがよ!
さめもみかんを手のひらにのせて、いつも思います。
すべての生物は細胞からできているけど、
みかんのあの袋は、どこがひとつの細胞なんだろう?と。
生物やって、もう結構長いですけど、
未だにその答えだけには、たどりつけませんねぇ・・・。
☆あきこさん、ミカンにしろキャベツにしろ、ふだん何気無く接しているものが、ある日突然、特別な光に照らされたように、たたずまいを一新してしまうことがありますよね。おそらく、自身の内面に張ったスクリーンが変化したのでしょうけど。先日読んだ雑誌に盲目の写真家のことが書いてありました。目が見えなくて写真が撮れるのだろうか。奇妙に感じたのですが、見えないけど見えるし、見えるけど見えない。そういうことなんだと思います。
それにしても、あきこさんの感性とぼくの感性は、どこか似ているように感じますがよ。失礼ながら。
☆ロビさん、珈琲だけではなく、オレンジも栽培してるんですか。いろいろあって、楽しそうですね。ところで、「オレンジは好きかい」というのは、むかし、リリイというミュージシャンが歌っていた「オレンジ村から春へ」という曲の一節です。オレンジ村。いい響きですよね。タンカンをたくさん植えて、オレンジ村を作ってください。
☆さめさんは科学者の目をお持ちだから、デテールに眼差しを向けると、謎が次々と現れ、面と向かって問いかてくるのでしょうね。分かる、とは、分けることなんだと思うのですが、ある程度分ける力が備わっていると、どこまでも分けられるような気がしてくる。でも、それは錯覚なんだと思います。などと分かったようなことを言ったりして。うひひ
全然シツレイなんかじゃないですよ。
私も、スプーンさんとは同族のような気がしていました。どことなく、おんなじメーカーのアンテナを持ってそうだなあって(笑)しかも超レア品の。
そういっていただけてうれちい☆
そーかー、同じメーカーのアンテナのせいで、似たような電波をキャッチしてるわけですね。ところで、アンテナって、電波をキャッチするだけでなく、発射することもできるんですよ。ぼくも発射できるのだろうか。あきこさんみたいに。
麦わらをかぶってキャベツを収穫するあきこさんを想像してみたのですが、なかなか似合いますね。ぼくは、ナスビとかトマトなら、剪定ばさみを持って、畑を回ったことがありますが、キャベツの収穫って、いまだにしたことないです。
キャベツの収穫は、根元を包丁で切り離します。
もう、ほんとに美しかったので、実際心がちくりと痛みました。
でも食べないともっと可哀想だしー(笑)
その気持ち、よく分かります。
自分で育てて収穫したキャベツは心から感謝して頂ける気がしますよね。おろそかに扱うとバチが当たる、なんて言葉も、納得がいきます。