目覚まし時計

「おまえ、いいかげん、目を覚ましたらどうだ」
実現不可能なことをいつまでも追い続けていると、親友からこういうアリガタイ忠言を頂くことになる。
言うまでもないが、この場合の「目を覚ます」は睡眠から覚めることではない。ぼくもそうだが、ほとんどの人が、上記の意味では自分は目覚めている、と信じているはずだ。しかしどうだろう。自分がどこから来てどこに行くか知ってる人はいない。自分が何者なのかも分からない。そんなことを考える時、はたして自分は見るべきものが見え、聞こえるべきものが聞こえているのだろうかと訝ってしまう。もしや眠ってるのでは?と考えてしまう。こんなことを書くと、さっそく、「おまえ、なにを寝ぼけてるんだ、目を覚ませ」という声が聞こえてくる。

“目覚まし時計” への3件の返信

  1. 時々、自分を第三者の目で見てることがないですか?私は時々あるのです。(笑)今、喋ってる自分は実は自分のぬいぐるみを着たもう一人の自分で、本当の自分はどこか別の場所にいる・・・そんなことを話すとみんな首を傾げる・・ワハハ。私にも目覚まし時計がいるかな?(笑)

  2. ☆サカモトさん
    多分、ぼくも以前そういうことがあったと思います。今だって、そうしようと思えば、そうなるんじゃないかと思います。でも、いったん自分を分離させるとクセになるような気がするので、今は敢えて控えたいと思います(笑)。生まれたての赤ん坊にとって、世界は起伏のない平坦な世界です。そこでまず、自分に触れ、他者に触れるという作業(セルフタッチ)を行うことで、自分の位置、形を認識しつつ、他者との境界、関係を探索するらしいのです。つまり、世における自分の存在認識は学習によって得られる後天的なもので、本能のように先天的に備わったものではないんですね。記憶の一種というわけです。記憶は新たな経験によって編集される脆弱性を持ってますから、サカモトさんの言われるようなことも案外簡単に起きるのではないかと思います。ロールプレーイングタイプのテレビゲームや映画の見すぎで、そういうことは起き易くなるんじゃないでしょうか。なお、以上のことは、ぼくの勝手な推測なので、信じない方がいいと思います(笑)
    ☆ASAKOさん
    理想的な目覚まし時計は、彼の点ててくれた朝のコーヒーの匂いでしょう。あくまで理想ですが(笑)

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