明日から10月。2000年10月1日に、ぼくの店はオープンした。今日で丸6年になる。明日から7年目に突入。ぼくにとって、7は因縁深い数字だ。気づけば、なぜかいつも、すぐそばに7という数字が寄り添っていた。ぼくの意思に関係無く付きまとう不思議な数字だった。それに気づいたとき、奇妙に思うと同時に、ぼくは歓迎した。悪い数字じゃないと思ったからだ。しかし今、ぼくはそれと決別したいと思っている。7の因縁。それを意識しはじめた時点で、なにかが壊れたようなのだ。無意識裏に進行していた何かが停止した。取り返しのつかない何かが。そんな気がするのです。
“7の呪縛” への4件の返信
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まずは丸6年、おめでとうございます。いつかお店に伺いたいと思っているけれど、何か足を踏み入れるのが怖いような、恐れ多いようなそんな気がしています。もうちょっと勇気ができたら、もうちょっと自信が持てたら、伺って、おいしいコーヒーいただきたい。
でも何だろう、取り返しがつかない何かって・・・。
こめこさん、ありがとうございます。独身の(魅力的な)女性に言ってもらえると、とてもうれしいです。これからも、今まで以上にテキトーにがんばりますので、よろしくおねがいします。
で、コーヒー飲めるんだったら、遠慮なく、ゼヒ遊びに来てください。
でも、変な店だから、砂糖は置いてません。今は。
こだわりで置いてないんじゃなくて、ずいぶん前に切れちゃった。きっと、みんな、ぼくのコダワリだと思ってるだろうな。違うのに。ヒヒヒ
だから、もし苦いのがダメだったら、砂糖持ってきてもゼンゼンかまわないし、家にいらない砂糖があったら持ってきて。できたらスティックタイプのグラニュー糖(笑)
取り返しがつかないっていうのは、言葉にしにくいのだけど、たぶん、幸運の一種です。
意識したとたん逃げていく、人なれしてない鳥のような…
わかるかなー? オレってやっぱし詩人かも。
こんばんは。へんな時間に寝たらへんな時間に起きました。
6周年、おめでとうございます。7年目もよろしくです。
別個のモノとして意識してしまった【7】を、他の数字と同じ目線でサラリと捉えられる日が来るとホントに良いですね。
気づいたことで失ったモノを、再びその手にできますように。。。
叶うとしたら、これはかなりのシアワセですね。
ありがとうございます。7年目もよろしくおねがいしますね。
そうなんですよ、意識してしまったとたん、失うもの、逃げてしまうものってありますよね。たとえば、いつも素手で何気なく簡単に捕まえていたチョウが、世にも珍しいチョウだと分かったとたん、動きがぎこちなくなり、相手もそれを察知して、逃げていってしまう。自然にふるまえなくなって、手に入れられなくなる。
意識しない。これは大変難しいことですよね。達観を得た禅僧の境地にでもなれば、おそらくチョウも逃げるどころか自分から寄って来るんでしょうけど。