ゲージュツの秋がやってきた

今日から9月。夏が終わってゲージュツの秋がやってきたよーな気がしたので久しぶりに山の上の美術館に車を走らせた

ぼくはこれを見ていつも思う。高かっただろうな~

間違って倉庫に来てしまったと思ったら、これも作品だそうです。なんで?

何だか困ってしまいそうなのがいろいろ置いてある

錆びの進行状況が気になるので来るたびにこれを見に行っている

これが何なのかいまだに分からない。でも分からない方がいいような気がする

これを見るとチョコべーのCMを思い出してしまう

昼食は近くのソーメン流しで。駐車場に車が一台もない。やったー、すいてるぞー!と言いながら店に行くと定休日だった

時間が遅かったせいで開いてる店がほとんどなく、あきらめて帰途に就くと、パチンコ屋の隣の食堂が開いていた。ぼくはとんかつ定食、ヨッパライ某は親子丼。どちらも750円。とてもおいしかったです。

小学生気分で

ぼくの夏休みはまだ続いているけど、今日で8月も終わりなのだ

今日は前回と違うレンズをカメラに付けて近くの運動公園に遊びに出かけた。

前回オニヤンマを撮ったのはズームレンズ。便利なレンズだけど、うまく使いこなせない。今日使ったのは単焦点レンズ。楽しいレンズ

goodby 8月

やがて青春がやって来る

午前中に珈琲を4種類焙煎した。前回、焼き方をそれぞれ2か所変更したが、今回はそのうちの一つを元に戻した。ジェームズジョイスは原稿を鉛筆で書き、原形をとどめないほど手を入れたという。珈琲の焙煎も文章の推敲とよく似ている。新しい焙煎機を導入し、最初に焙煎した珈琲を原形と呼ぶなら、今の珈琲は同じ珈琲とは思えないほど風味が違う。焙煎を終え、機械をクールダウンさせているとお昼になった。お昼は目玉焼きとベーコンとサラダと牛乳と、いただき物のパン。食事の後、珈琲を淹れ、昨日ネットで拾ってクラウドに放り込んだ、斎藤環による草間彌生インタビュー要約版をリーダーに取り込んで屋上のテーブルで読む。が、風が弱く、暑いので10分もしないうちに退散。クーラーの効いている部屋で続きを読む。要約版が終わりに差し掛かったころ、草間彌生のある展示会の副題が「やがて青春がやって来る」と書いてあり、なんだか気に入ったので今日の題名に使うことにしたのだった

一番星が出るまで

朝食を済ませ、カメラを持って近くの運動公園に向かった。昨日見たのがコオニヤンマなのかオニヤンマなのかを確かめるため。せせらぎの傍らでカメラの準備をしていると、さっそく飛んできた。まるでぼくが来るのを待ってたかのように。目の前をゆっくり通り過ぎ、草の葉に留まった。コオニヤンマの複眼は左右離れているが、オニヤンマの複眼はくっついているとのこと。どうやらこれはオニヤンマらしい

おなじみのシオカラ。100匹以上飛んでいる

公園の底にある人工池。じっくり観察すると、けっこういろんな生物がいて楽しめる。10センチ近いカニもいる。

あちこちで見かけるようになったタイワンウチワヤンマ

今日も一日が終わろうとしている

カメラも年をとる

朝食の後、ヨッパライ某を誘って近くの運動公園に行った。いつものように人工のせせらぎに沿って歩いていると、川面をコオニヤンマが飛んできて近くの小枝に留まった。オニヤンマはずっと飛びっぱなしでめったに留まらないが、コオニヤンマは休憩が好きだ。カメラを取り出し、近づいて行ってシャッターボタンを押すが、シャッターが切れない。電池を入れなおすと復活する。ずいぶん長いこと使っているので、そろそろ寿命かもしれない。上の変な写真は、何なのか分からないかもしれない。ある状況、ある場所で撮っただけです

※ ネットで調べたところ、「休息時はオニヤンマは木の枝などにぶらさがって止まるが、コオニヤンマは腹を水平にして止まる」とのこと。ぼくがコオニヤンマと思って見たトンボは、小枝にぶら下がって止まってました。ということは、見たのはオニヤンマだったのかも。明日行って確かめてみます。

砂丘の向こう

いとこが遊びに来るというので、じゃあ、バーベキューでもしようか、ってことになり、山を越えていつもの肉屋に向かった

山を越えたついでに砂丘を越えて砂浜に出る。だれもいない海

久しぶりのバーベキュー。いつもなら缶ビールを無制限に開けるのだが、今夜は2缶にとどめた

軽いのが好き

午前中、病院に行って心電図をとった。薬が効いているのか、心房細動もなく、良好、とのことだった。胸に巻いていたコルセットも、もう付けなくていい、とのことだった。
買い物を済ませ、家に帰り、食事を済ませた後で屋上に上がり、熱いコーヒーを飲んだ。ぼくは思いのほか疲れていることに気づいた。ぼくは思った。重いより軽い方がいい、と。


もっとも重い荷物というのはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。 それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。 そこでわれわれは何を選ぶべきであろうか?重さか、あるいは、軽さか?

クンデラ 「存在の耐えられない軽さ」

まだ暑いね

台風が近づいているというので怪獣池のパン屋でなんか食べようってことになった

テラス席に座り、モーニングセットを注文。ヨッパライ某はいつものようにシカゴドッグ、ぼくはゴルゴンゾラのハニートースト。風が強くてパンが吹っ飛んでいくのではないかと心配した。というのは冗談です

100円道路の途中にある自然公園で植物観察。これはモウセンゴケ

潮が引くと歩いて渡れる島。走って渡ることも可能だ

家に帰り着き、珈琲を3つ焙煎。焙煎が終わって3時のコーヒータイム。写真はファインチューニング中のフレンチ。焼き上がり温度を1度上げたのが効いて、かなりのレベルに達してきている。と思う