生命とは何か

一羽の蝶がきっかけで、私は生物学を真面目に考えるようになった

昨日発売された、ノーベル生理学・医学賞を受賞した生物学者ポール・ナースの「WHAT IS LIFE? 生命とは何か」

さきほど電子書籍版をダウンロードして読み始めたのだけど、出だしのツカミがなんともいい。著者の温かい人となりが行間に浮かんでいる。


ある早春の日、たぶん、一二歳か一三歳だったと思う。庭に座っていたら、黄色い蝶がひらひらと垣根を越えて飛んできた。その蝶は向きを変え、ほんのちょっとのあいだ、羽ばたきしながらその場に留まった。羽の上に、精緻に浮かび上がる血管や模様が見えた。次の瞬間、影がさすと、蝶はふたたび飛びたち、反対側の垣根の向こうへと消えていった。


頭にたくさんの疑問符をしまい込んだ昆虫少年が大人になって生物学者になり、ノーベル賞を取った。
啓蟄を過ぎ、いろんな生き物がうごめき始めた今にぴったりの本かも

そんな季節

朝起きると9時半を少し回っていた

屋上に上がり、近くの山を見回すと、山桜があちこちで咲いていた

山桜が咲いているところに行ってみようと思った

海の近くの神社に山桜が咲いていたのを思い出した

昼食は海が見えるレストランのテラス席で

ダム湖の近く

花見をするにはチト肌寒い

微熱少年の午後

税理士事務所の女の子から電話があった。
「うちの社員がコーヒーを買いに行くので準備しておいてください。とーってもカワイイ子ですよ、うふ」
微熱少年は期待と不安が入り混じる複雑な心持ちで彼女が来るのを待った。
3時頃、彼女はやってきた。
しかし、大きなマスクのせいで目しか見えなかった。

ソラマメを買いに行く

朝、昨夜の残りのモツ鍋を火にかけたまますっかり忘れてしまい、派手に焦げ付かせてしまった。煙の立ち昇るふたを取ると何かしら前衛芸術のような黒いオブジェが土鍋の底に居座っており、それを削り取るのに1時間以上かかってしまい、せっかくの第一火曜日の休みが少し無駄になった。しかし気を取り直し、雨も上がって陽が射してきたのでどこかドライブに出かけることにした

そろそろソラマメの季節なので、ソラマメを買いに行こう、ということになった。某ソーメン流し近くの野菜販売店で売っているので、そこで買うことにした

焦げた鍋と格闘したせいで出発が遅れ、ソーメン流しに着いたのは2時ごろだった。鍋との戦いで体力を消耗したのか、ソーメンがとてもうまかった。ソーメンはいつものように一品少ないB定食を選んだのだが、少し足りなかったので怪獣池のソフトクリームを食べることにした

帰りは山の稜線上を走る有料道路を選んだ。海岸道路を南下するとき左手に見えていたタンカーが海の真ん中に浮かんでいた

買ってきたソラマメとスナップエンドウ

さやのまま炙るのが簡単でウマい。ビールのおつまみに

山の向こうは晴れていた

病院に車を止め、歩いて海へ行った。曇っているせいか目に映るものはどれも灰色

用事を済ませ、南西に進路をとった。山を越えると次第に雲が無くなって、休日らしい天気になった

海を眺めているうちに昼になった。漁港近くの店に行くのに近道をしたら道に迷った

漁港近くのスシ屋で、ぼくは安い方のスシ定食、ヨッパライ某はエビフライ定食をたのんだ。近くの席で、オバさんのグループが大きい声で煮魚定食を食べていた

山の上の公園に山桜を見に行ったが、まったく咲いてなかった

予は君を失念しゐたり

夕方やってきた常連のお客さんとコーヒーを飲みながら話していたら、「付き合ってる連中と友達の違いってなんだろうね」などと彼が言いだした。めんどうなことを言いだしたな、と思いつつ、ふと佐藤春夫のエッセイを思い出したのでその話をした。春夫少年が小学生のとき、先生が「君たちが持っている友達を5~6人書いて提出せよ」と言った。しかし春夫少年は友達と呼べる存在を思い浮かべることができず、困ってしまう。しかし何も書かないわけにはいかず、自分の席のまわりの連中の名前を書いて提出した。休み時間になったとき、後ろの席の少年が「君はだれを書いたんだい?」と笑いながら聞いてきた。そこで春夫少年は「君の名前を書いたんだ」といった。すると、後ろの席の少年は絶句し、「許してくれ、ぼくは君のことを忘れていた、たくさん友達がいるものだから」と言った。このエッセイで佐藤春夫さんは言う。今でも彼のこの正直な一言に無限の友情を見出すのだと。
という話を彼にしたところ、「ぼくが小学校の時、同じことがあった」と言いだした。春夫少年と同じように、先生に言われ、友達の名前を数人書いて提出したのだそうだ。休み時間に「ぼくは君の名前を書いたよ」と友達に言ったら「君と僕は友達なんかじゃない」って言われたという。

著作権が消滅しているはずなので、青空文庫にこのエッセイがあるんじゃないかと思って探したけど見つからなかった

佐藤春夫  好き友

私の交友は誰々かとお尋ねになるのですか。貴問は私を怏々とさせます。私には友達といふものがないからです。それは私の孤独な、人と和しがたい性格から来てゐるのでせう。どうもさうらしい。
考へて見ると、私には少年時代の昔から友達といふべき者はなかつたやうな気がします。私が十二歳の時、私はちやうど、今日貴社から与へられたと全く同じ質問を、小学校の先生から与へられたことがありました。その時も私は今日と同じやうな不愉快を感じました。
その時先生の質問といふのは、生徒たちの学校外での生活を知るために、各の生徒たちが持ってゐる友達を五六人数へ上げよ、といふのであつた。雨の日の体操の時間で、雨天体操場などのあるべき筈もない田舎の小学校では時をり、そんな機会にそんな事をする時間があつたのです。先生が紙をくばつてくれると、生徒はそれへ返答するのです。人に見られないやうにと肘でしつかりと囲をして、それぞれに小さな頭と胸とを働かせながら書くのです。割合に自由な時間なので、いつもこんな時には、私は楽しかつたものです。一番好きな歴史上の人物は誰だとか、或は誰でも教壇へ出て面白い話をしてみよとか、つまり雨の体操時間といふのは遊びの時間だつた。それだのに、その日は何だか試験の日のやうに緊張した感じがあつた。私はといふと、試験ならば即座に答へてしまへるものを、この日のこの質問には本当に悩まされた。答へようにも私にはひとりも友達らしいものはなかつたからである。
しかし、ひとりも友達がなかつたと言つて、私は人に馬鹿にされて相手になつて貰へなかつたのではない。却つて私は人に畏れられてゐたのである。私は大人びた子供で学科も不出来ではなかつたし、私の家は医者だといふので田舎町の純朴な人たちは尊敬してゐてくれた。さういふわけで、小さな我々の仲間までが、私をへんに畏敬する風があつた。それに私は、いつもひとりで遊んでゐる無口な子供ではあつたし、誰も用事の時の外には、気軽に口を利いてもくれなかつたのである。それを、私はふだんは大して不幸にも思つたのではない。しかし、今日かうして、お前の友達は誰々だと問はれると、直ぐに答へ得る名のないのを淋しく思つたのです。その上、私は先生に向つてきつぱりと友達はひとりもないと書くことは出来なかつたのです。どうしてだか知りません。いろいろと考へた末で私は、教室に於ける自分の座席のぐるり四五人の子供の名を順々に書き並べたのです。何故かといふのに、その子供たちが、さういふ位置に置かれた自然の関係として、自然と、最も多く私と口を利く機会が多かつたからでした。
その時間が過ぎてしまつて、自由な時間が来た時、子供たちは、今のさつきの先生の質問をさも重大な事件のやうに話し合つてゐた。彼等は皆、人々に、俺はお前のことを書いたといふやうなことを言ひ合つてゐた。しかし、私に向つてそんなことを言ひかけた者はひとりもなかつた。すると、いつものやうに黙つてゐる私のところへ来て、ひとりの子供が話しかけた ──
「あんた。誰書いたんな?」
その子は快活な口調で言つた。それは教室で私のすぐうしろに居た子供であつた。きさくな性質で、気むづかしげな私に対しても常から最も多く口を利いてゐた。彼に対して私は答へた ──
「おれはあんたの名を書いたんぢや」
その答へとともに、彼のはしやいでゐた顔は一刹那にがらりと変化した。しばらく無言だつた彼は、やつと私に言つた。──
「こらへとおくれよ。なう、わあきやあんたをわすれたあつた。わあきやあ、ぎやうさんつれがあるさか」
二十年を経た今日、彼のその言葉を、私はそつくりとその田舎訛のままで思ひ出す。さうして私は彼のこの正直な一言に、今も無限の友情を見出すのです。ひよつとすると、これが私のうけた第一の友情ではないかとさへ思はれるくらゐです。
貴問に対して私は、仮に三四の名を挙げることも出来るでせう。しかし、その人たちが数へ上げた名のなかには私が無かつた時に、彼等は私に対して、果たして、
「恕せ、友よ、予は君を失念しゐたり。予は多くの友を持つが故に」
と、さうはつきりと私に言つてくれるだらうか。どうも覚束ないやうな気がするのです。
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或る時、私は、或る雑誌社から『吾が交友録』といふ題で一文を求められた時、それに答へようと思つて以上のやうな文を書いた。しかし、あまりにひねくれた言ひ分だと人が思ひはしないかと思つて、書いたままでそれをまるめて、屑籠のなかへ入れてしまつた。

スプリングハズカム

むかし、ぼくの車にはカセットテープが100本以上積んであった

ぼくはその中から聞きたい曲の入ったテープを選び、カーステレオに突っ込んでドライブに出かけた

今日は熱帯雨林ミュージックからダウンロードした音楽をしこたまスマホに詰め込み、それをシャッフルしながらドライブに出かけた

カセットテープみたいに巻き戻したり取り替えたりする面倒はない。しかも音がいい。だがしかし、何かが足りない。とても大切な何かが

強いて言うなら、それは人間的な何か。一見、無駄なもの

便利になると何かが逃げる。

Spring has come

春だったね

ズボンがすり減ってきたので、いつものように南の温泉町にある店に出かけて新しいのを買うことにした。ズボンを2本買い、店を出たらちょうどお昼だったので、海の駅で昼食

ヨッパライ某はここで菜の花の刻んだのを買った。そんなわけで夕食は菜の花スパゲティになった。ほろ苦くてとてもおいしかったです

近くの植物園に寄ってみた。お客さんからいただいたアンパンを持ってきていたので、桜の下で食べた。これは栗餡

ちなみにこのアンパン、買いに行くと行列ができていて、いつも売り切れているとのこと。とてもおいしかったです。

これはアズキ

イズノオドリコという淡いピンクの桜