今日は三ヶ月おきにやってくる歯のメンテナンスの日。どこも悪くないのだけど予防のため。それが終わったらヨッパライ某を病院に連れて行き、その足で父の携帯電話の解約手続き
バタバタと用事を済ませ、海の見える小さなレストランのテラス席へ。パスタをフォークに巻き付けながらドストエフスキーの話などポツリポツリ
海に寄ってみる
誰もいない海。さきほど解約した父の携帯をコールしてみた。「おかけになった電話番号は現在使われておりません」
いつも宇宙とつながっていたい。それを確かめるために海に来る
学生の時に買った古いレンズをカメラに付けて山の上の公園に出かけた。絞りが壊れているので狭い範囲にしかピントが合わない
古いレンズなのでフォーカスリングを手で回しながらピントを合わせる。いつの間にかぼくもこんな悠長な作業を楽しめるようになった。このレンズ、当時、定価24000円だったのを新宿さくらやで3割引で購入
園内を歩いていて変なにおいがすると思ったら銀杏。もう少しで踏んづけるところだった
妻の母のリクエストで昼は天ぷらそば。とてもおいしかったです
ヨッパライ某が、あそこの丘でパラグライダーやってるかも、というので行ってみたけど、やってなかった。この写真はいつも持ち歩いているコンデジでとったもの
海に寄ってみた
海どりの声はさびしくて、美しくて、なにか、とても遠い昔のひびきがありました。昔知っていて、でも、なくなってしまったもの、そして、それきり二度とみつけられなかった、すばらしいなにかのことを、アンナに思い出させました
これはロビンソンの「思い出のマーニー」(岩波少年文庫)の一節。
以前も書いたけど、こういう文に出会うと、どこかでなくしてしまった何かを探しに出かけたくなる
いい月が出ていたので夕食はバーべーキューにした
今日は第一火曜日で仕事は休み。どこか遊びに行きたかったが、昨日打った2回目のワクチンが効いて、ヨッパライ某が38度以上の熱を出してダウン
ぼくも37度ちょっと出たが、何ともないのでどこか遊びに行こうと思ったが、病人を残して出かけるのも気が引けたので家にいることにした。冷蔵庫に冷ご飯があるからそれでピラフでも作って食べてね、というので、仰せの通りにした。皿に盛ると早く冷えるのでどんぶりに盛って食べた。自分で作るとなんでこんなにうまいのだろう。思わずお代わりをしてしまった
体が熱っぽいせいか、冷たいものが欲しくなる。ポカリスエットとスイカで体を冷やしながら一日を過ごす
せっかく家にいるので、先日届いたスピーカーユニットを取り付けてみることにした。今使っているユニットは明瞭で明るい、元気な音が持ち味。悪くないのだけど、もう少し、人生に疲れた感じというか、陰影を帯びた音が表現できないかな、と思い、試しに最近出たユニットを取り寄せてみたのだった
蛇の抜け殻のような妖しいデザイン。トンボの翅にヒントを得て作ったのだそうだ。井戸のような暗さ、陰のある音が表現できそうな予感。うふ
取り付けてみました。馴染ませるためしばらく音楽を流し続けたあとで聞いてみると、音の趣がこれまで使っていたユニットとはまるで違うのにびっくり。明るい音でも暗い音でもない。ユニットのインピーダンスが変わったせいで、中低域のボリュームが薄くなってしまったので、熱帯雨林にコンデンサーを注文。コンデンサーを追加した後で再試聴し、バックキャビティの吸音材の量などを調整するつもり
ぼくを一人残して夏は去っていく。
失恋にも似たこの切ない気分を本でも読んで紛らわさなくちゃ。
というわけで選んだ本は、ディーリア・オーエンズ著「ザリガニの鳴くところ」
わが家にはガラス製の小さなドレッシングシェーカーがある。これにオリーブオイルと砕いた胡椒と酢と玉ねぎをすりおろしたのと、ハーブソルトを適当に入れてシェイク。以前はスーパーで売ってる既成のドレッシングを使っていたが、それとは次元の違う味がする。伊丹十三は「女たちよ」というエッセイ集で、「既製品のドレッシングを使う人は、人間も既製品ということだ」と口をとがらせていたが、マヨネーズについても「友人のうちに遊びに行くと、奥さんが胡瓜やレタスを刻んでチューブ入りのマヨネーズをにょろにょろとかけたやつを出してくる。あれは侘しいなあ。自分の工夫が一つもない。したがって料理でも何でもない」と不平を鳴らしていた。マヨネーズも自分で作ると断然うまいのだという。そういうぼくも作ったことはないけれど。
ずいぶん昔の話だが、その伊丹十三がマヨネーズのCMを好演していてけっこう笑えた。あのころはテレビCMばかり見ていたな。