無音の音

先日、ビデオでアルゲリッチの弾くバルトーク第3番を見ていて妙な感じがした。二楽章、ピアノの無音部分に聞こえない音を感じた。たぶん、ビールのせいだろうけど(笑)
おとといの夜、茂木健一郎さんのブログで、作曲家、江村哲二さんが亡くなったのを知った。そのときは、茂木さんは当然、江村さんの病状を知っていたのだと思っていた。ところが昨夜、茂木さんのブログを読んで驚いた。茂木さんも関係者も知らなかったというのだ。
以下、クオリア日記6月13日「想い出」より引用
サントリー音楽財団の佐々木亮さんから
お知らせを受けたのは月曜の夜で、
あまりのことに呆然となった。
入院されたとは聞いていたが、
まさかそれほど重い病気とは知らなかった。
ご家族はご存じだったのだろうが、
私たち関係者は誰も知らなかった。
「あの方は、そういう人なんですよ」
と佐々木亮さんは言う。
「初演を成功させることだけを祈って、
黙っていたんでしょう」
他人のぼくが驚いたくらいだから、茂木さんの驚きはそうとうなものだったと思う。
江村さんの静かな死は、なぜかぼくの胸を強く打った。ふとぼくは思った。表現者として世阿弥は「秘すれば花」といった。江村さんは作曲者だ。無音に音を聞く人なら、死を活きることを特別なこととは思わなかっただろうと。

確率

昨夜、いつものようにお気に入りブログを巡っていると、某脳科学者のブログで、ある作曲家が亡くなったことを知った。つい先日、彼の最近の対談を読んだばかりだったせいか、妙に生々しく感じられ、しばし呆然となった。47才。すい臓癌。ぼくは普段、死を意識することがない。ぼくは死なないんじゃないか、とさえ思っている。このまえ読んだ五木寛之著「林住期」によれば、死神は前からはやってこず、不意にうしろから肩をたたくのだそうだ。彼の死を知ったとき、ふと思った。なぜぼくじゃなかったのか。

プロムナード

昨日は月曜日で休みだった。ぼくは血圧が低いせいか、目が覚めてもしばらくパァである。パァなまま机のパソコンに向かい、「月曜日は休んでます」という文字を、かなりの時間をかけてやっと掲示板に打ち込み、送信ボタンをプッシュ。エラー。よくあることなので気にせずリトライ。成功。掲示板の「月曜日は お店休んでます….. 」という文字をしばらくぼんやり見つめていると、不意にケータイが鳴った。
 Sub 南薩
本日も出勤でっか?
当ブログにも時々コメントしてくださるE氏であった。予定では、県道17号線(指宿スカイライン)を南下、川辺ICの先にある 錦江台展望公園 のアジサイをチェックすることになっている。
 Sub Re:南薩
まず、イブスカの椿の郷に行って、それから考えようと思ってますがよ
と、ぼくは返事した。すると
 Sub Re:Re:南薩
ぼくもイブスカを流す予定です
そんなわけで、ぼくらは錦江台展望公園で落ち合った。なお、錦江台展望公園は椿が林をなしているので、以前は「椿の郷」と呼ばれていた(ような気がする)。つり橋の下に群生しているアジサイはまだ五分咲き。広葉樹の枝が重なり合う薄暗い小道をブラブラ歩く二人の男。その会話は植物や昆虫のことばかり。遠くで、そして近くでウグイスが鳴く。ふいに木々がざわめき、風が通りぬける。アリストテレスとその弟子たちは、道をブラブラ歩きながらよく議論したそうだ。たしかに歩きながらだと、話にリズムが出るためか、話が弾み、よく展開する。やがてぼくらは小高い開けた場所に到着し、岩に腰掛けてコーヒーを飲んだ。鳥の声、風の音。ここはとても静かなところだ。
070611

天然な人たち

昨夜、田口ランディのブログを読んでいて、思わずにんまりしてしまった。以下、引用
・・・「今日は暑いから、なんかさっぱりしたもん食べたいね?」などと言い、駄菓子屋のアイスなどを、「うめ?」とか言って立ち食いするような人といると、妙にほっとする。・・・
いや~、その気持ち、よくわかるなぁ~。田口さんの本音っぽいトークは身近なリアリティがあって、チョ~おもしろい。たまにぼくも、一見、ストレート風、本音っぽいことをブログに書き付けるけど、文章を使って自分の気持ちをストレートに表現するのって、スゴク難しい。本音らしく見せるために、かなり演出、脚色している(笑) ところで、いまだに「真空管アンプの音は柔らかくて温かい」といって、真空管にこだわり続ける人がいる。これは単なる懐古趣味ではない。真空管アンプが人間味のある温かい音を出すのには、ちゃんとした理由がある。真空管アンプには音声信号に負帰還(ネガティブ・フィードバック)をかけなくても使える素性の良さがあるのだ。アンプは負帰還をかけることで歪がグンと減る。行儀よくなる。コストをかけずに音を良くするなら、負帰還をかけるに限る。だから、市販されているアンプのほとんどが負帰還アンプである。ただし、音はそっけなくなるというか、精彩にかけるというか、おとなしく他人行儀になりがちである。行儀を取るか、歪を取るか…。マニアは歪を取る。(なんちゃって)
ふつう、だれだって人としゃべるときは自分の言葉にフィードバックをかけ、つまり客観性を持たせてコントロールしている。(自分自身とのコミュニケーションにもフィードバックをかけている)どこかの政治家ではないが、思ったまましゃべると、えらいことになる。本音トークを得意とする人たちは、フィードバックのかけ方が絶妙なのだ。これは真剣勝負の寸止めと似たテクニックであり、途方もないエネルギーと技を要するのである。かも。
フィードバックをかけずにコミュニケーションする人たちがいる。ぼくはこの人たちを「天然」と呼んで大事にしている。そのせいか、ぼくの周りは天然だらけだ。

酔いの明星

早く家に帰りついたので、屋上で缶ビールを開けた。
空はまだ明るい。
風がバーベキューの匂いを運んでくる。
炭の焼けるにおいが夏の到来を告げている。
西の空で、ひときわ強く輝く星があった。
宵の明星、金星だ。
その左上に見えるのは土星。
二つの惑星に乾杯。

かごしま探検

かごしまって、いいところだよねー。
でも、まだ行ったことのないトコロがいっぱい。
と、いうわけで、これからの予定。
とりあえず、次の二つを早々にクリアしたいと思いますがよ。
1、屋久島の森の奥深くを探検。
2、奄美大島のマングローブをシーカヤックで探検。
2 については、当ブログにリンクさせてもらってる「地球の声 blog」のロビさんにお願いしようと思ってます。

どうでもよさそうなこと

ぼくは、どうでもよさそうなことをいつまでも憶えてて、くよくよ悩む。実は今もそうだ。二日前の朝のこと、店に向かって車を走らせている途中、前方に犬を散歩させている若いご婦人がいた。ご婦人は、ぼくに背を向けて歩いているのだが、そのスカートのファスナーが全開している。声をかけるべきか、どうするか迷っているうちに通り過ぎてしまった。声をかけるべきだったと後悔している。

せりふのない一日

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昨日は定休日だったのでドライブに出かけた。南に一時間も走ると、そこは大きな植物園。そこには、赤い花や白い花、青い花が咲いていたが、その日ぼくはそれを言葉にするのをやめてみた。言葉にするのをやめると、赤い花は赤い花であることをやめる。白いアジサイも同じだ。そんなことが簡単にできるもんか、と思う方もいるだろうけど、ぼくはできる。といっても、ゲシュタルト崩壊を応用しているだけのことだ。070604_01ぼくは頻々として起こるゲシュタルト崩壊に悩まされていたのだけど、おかげでその状況をある程度フィードバックできるようになった。フィードバックできるということはコントロールできるということ。抽象化をやめると世界は一変してしまう。エネルギーが渦巻く引力と斥力のリアル世界だ。

エントリーの題

数日前から、Googleでココにくる方が急増している。検索ワードは「浅井慎平」。さっそくGoogleで「浅井慎平」を検索してみると、あちゃ~、トップページの5番目に当ブログの名が。浅井慎平さんを知りたくていらっしゃった方にはホントに申し訳ないと思う。だって、たいした記事じゃないんだもーん。 Googleさん、なんとかしてよ~。恥ずかしいやんけ。ちなみに、当ブログのエントリーの題名は、なぜかGoogleのトップページにランクインすることが多い。

夏のはじまり

土曜日なのに雨が降っている。
きみのせいじゃない。だれのせいでもない。
きのう、梅雨に入った。
どうして梅雨をツユと読むの?
ぼくは言った。
その語源は「to you」だよ、と。
きみは笑って信じなかった。
ぼくはつぶやいた。
自然からの贈り物、それが夏なのさ。
「to you」