夕方、駐車場で花の写真を撮っていると、どこかのオジサンが近づいてきて言った。
なんしちょっとな。(何をしているのですか?)
花の写真を撮っているんです。ぼくは言った。
くらかどがな。(暗くて良く撮れないのでは?)
いや、大丈夫ですよ。
そん、はっぱがじゃまやっどがな(花の上の大きな葉が邪魔でしょう)
いや、大丈夫ですよ。と、ぼくは言ったが、
おじさんは、花の上にある枝を持ち上げてくれた。
こいでよかどが。(これで明るくなったでしょう)
はい、ありがとうございます。と言って、ぼくは写真を撮った。
枝を持ち上げる必要はゼンゼンなかったのだけど。
夜中の十二時に
昨夜の十二時のことだけど、ともだちが自動車のトランクに死体をいれて持ってきて、どうしようか、ってぼくに言うわけよ。やれやれ。
あなただったら、どうする?
これ、きのう映画に行ったついでに買ってきた、河合隼雄著「大人の友情」に書いてあったのを、ちょっといじったもの。
「友人」と一口に言っても、いろんな友人がいると思う。では、いわゆる「ほんとうの友人」って、どんな人?
河合隼雄は、あるユング派の学者が、その祖父に「友情」について尋ねた時のエピソードを引用して答えている。祖父いわく「夜中の12時に、自動車のトランクに死体をいれて持ってきて、どうしようかと言ったとき、黙って相談にのってくれる人だ」
これを読んで、ぼくはさっそく、友人が夜中に死体を持ってきた情景を思い浮かべてみた。
天国の門
雨の定休日。久しぶりに映画を見に行った。見たのは、ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン主演の「最高の人生の見つけ方」
おもしろかったです。病院の相部屋で知り合った二人が、余命半年の末期ガンであることを知り、死ぬ前にやっておきたいことをメモしたリストに従って冒険の旅に出る。途中、エジプトのピラミッドの前で、フリーマン演ずるカーターが、ニコルソン演ずる富豪エドワードにこんな話しをする。
人は死んで天国へ行くが、その門で、二つの質問をされる。どちらもイエスなら、門は開かれる。まず、こう訊ねられる。
「人生に喜びを見つけたか?」
ぼくは思わずよろめいた。スクリーンから発せられた質問が、ぼくの脳天を直接ヒットしたのだった。そして二つ目。
「だれかに喜びを与えたか?」
ぼくは何も言えなかった。天国の門は閉じたままだった。
六月のスイッチ
雪月花時最憶 君
きのう、お客さんからCDをもらった。一枚買ったら、オマケに付いてきたからあげる、とのことだった。
お昼前、いつものお客さんと、入荷したばかりのインドネシア珈琲を飲んでいるとき、ふとこのCDを思い出したので、かけてみた。どんな曲が入ってるのか、だれが歌ってるのか、さっぱり分からないまま。流れ出したのは、Windham Hillレーベル風の垢抜けた生ギター。ちょっとビックリ。お客さんも、「これ、いいじゃない」という。「いや、安心するのは早いですよ。そのうち、変なヤローめが歌い始めるかもしれないし」と、ぼくは言った。でも、大丈夫だった。これはいい。すごくいい。木漏れ日のベンチで、爽やかな風に吹かれているような、そんなステキなアルバムだ。
アルバムタイトルは「雪月花時最憶君」
こちらで売ってるようです。
ビールが飲みたい午後
今日は朝から大変忙しかった。座る時間もなく、一息ついたのが午後3時前。その後も忙しく、6時過ぎになって、やっとゆっくりイスに座ることができた。ビールが飲みたい!死ぬほどビールが飲みたい!と、思った。
ぼくの記憶の中で、一番ビールがうまかったのは、知人の引越しの手伝いで、海の近くの住宅に行った時のこと。引越し作業もすべて終わり、ぼくは屋根に上ってテレビアンテナを設置した。アンテナの向きの調整が終わったとき、知人が下から缶ビールを投げてよこした。遠くで、太陽が海に沈もうとしていた。それを見ながらビールを開け、瓦に座ってビールを飲んだ。これが最高だった。
つまんない人
虫を追いかけているうちに学者になってしまった、みたいな男が書いた本を読んだ。題もイカシテル。
「チョウはなぜ飛ぶか」
ぼくは一粒で2度おいしいアーモンドグリコをしゃぶりながら読んだ。この人の言うことは、ほんとにおもしろい。好きなことをやってる人の言葉はセクシーで魅力的だ。読み終わって、ふと、今朝いらした、上品で落ち着いた年上の女性との会話を思い出した。
「オトコの人って、かわいそうよね」
彼女は、つぶやくように言った。
「一生懸命勉強して、いい学校に行って、いい会社に入って、退職して、つまんない人になっちゃう」
彼女は窓の外を見ながらしゃべっている。
さっきまで明るかった空が、いつのまにか暗くなっていた。雨になりそうだ。
「そう思いません?」
彼女は振りかえった。
「そういう人もいるでしょうね」
ぼくは言った。
「ええ、多いですよ。私のまわりにはいっぱいいます」
彼女はいつもの明るい顔に戻っていた。
「苦労して、高性能な歯車になる人はいますよね。でもそういう人は、その仕組みから出たら、なんにもできない」
「そう。そういうオトコって、ほんとにつまらないの」
低気圧ボーイ
祭りのあとのさみしさ
今朝、玄関横の手水鉢を覗いてみると、昨日まで上へ下へのお祭り騒ぎ状態だったボウフラたちが見事に消えていた。一匹もいない。昨日買ってきた金魚たちが食べてしまったらしい。迷惑なヤツラだったが、いなくなってみると案外寂しい。この手水鉢に金魚5匹は多すぎたのかもしれない。
50円の金魚
きょうは定休日。久しぶりに南薩方面に出かけることにした。もし雨だったら、映画、「THE BUCKET LIST(棺おけリスト)」 を見に行くつもりだったが、予報どおり、朝起きると晴れていた。一時間後、ぼくはいつもの海岸通りを走っていた。左手にはいつもの海が広がっている。
チョイスしたBGMは、TAKANAKAの古いアルバム。久しぶりに見る海はとても大きく感じられた。海の景色と匂いが、ぼくの気持ちをみるみる軽くしていく。それは頭痛にノーシンが効くのによく似ている。いつもの植物園に着いたのは昼前だった。植物園には目的があった。数日前、ロビさんのブログで、ジャカランダが咲きはじめたことを知ったので、それを見るため。
去年行ったときは、落ちたジャカランダの花が、青いカーペットを敷いたように通路を覆っていた。今日はまだほとんどがツボミだった。ジャカランダの並木道の手前で、ヤマボウシが満開だった。清楚でとても美しい。田中一村の作品で一番好きなのが「白い花」なのだけど、それはヤマボウシが好きだからかもしれない、と思った。
ジャカランダの並木道を抜け、大きな花壇を過ぎると松林がある。そこに置いてあるベンチがすてきだ。座ってコーヒーを飲んでいると、頭上で風の音が聞こえる。この植物園は人工的なものだけど、ちょっと探せば、遠い昔の風や波の音が聞こえる場所がいくつかある。ベンチに腰掛け、目をつむると、遠い風の音が聞こえてくる。レストランで食事をとって、近くの屋内庭園に向かった。入り口の石垣でトケイソウが満開だ。
トケイソウの英名はパッションフラワーだが、その由来はキリストの受難(Passion)だ。同行のヨッパライ某に、花の形状と名前の由来の関係を説明すると、え~っ!と言って絶句した。庭園を出て、空を見上げると、太陽のまわりに虹色の輪ができていた。先日の環天頂アークを思い出す。ちょうど飛行機雲が地平に伸びていて、まるでイカロスの墜落のようだった。帰りに「ムー大陸」に久しぶりに寄ってみたくなって、曲がりくねった細い道を登った。
が、突き当りの朱色に塗られたエキゾチックな門に「工事のため、しばらく休みます」という貼紙がしてあった。しかたなく、近くの某怪獣池でソフトクリームを食べることにした。一口食べると、そこに口が現れた。何か不満があるような口だったが、何も言わなかった。某怪獣池を後にし、右手に海を見ながら走っていると、ふいに「しなくてはならないリスト」にのせている、あることを思い出した。
それは「金魚を買うこと」なのだった。玄関横の手水鉢にボウフラが湧いているのだが、その手水鉢の中は、今やスターウォーズ・クローンの逆襲に出てくるクローン製造基地に匹敵する勢いで次々と吸血蚊が生産されている模様なのである。対策用にメダカを一匹お客様から頂いたのだが、まったく歯が立たない。車は某ホームセンター横のペット売り場に向かっていた。買おうと思っているのは、黒のデメキンだ。
なぜ黒かというと、近所のネコが水を飲みに来るので、ネコに見つからないように、という配慮である。デメキンを探して店内をうろついていると、それらしいのが泳いでいる大きな水槽が見つかった。しかし、その価格を見て、それこそ目が飛び出た。380円!ぼくは20円くらいだろうと思っていたのだ。安い金魚を探して店内をうろつきまわる二人。
だが、20円の金魚は見つからず、棚の下の目立たないところに「金魚50円。自分では選べません」と書いた札が貼ってある水槽を発見した。黒が欲しかったが、贅沢は言ってられない。「これください」と言って、5匹買った。250円。そういえば、某怪獣池のソフトクリームも250円だったっけ。