
人は思いがけず旅に出る。
昨日の朝のことだ。なんの気紛れか、突然目の前に北の魔女が現われ、微笑むと同時に一撃を食らわし、立ち去った。
あえなく冷たいコンクリートの床に沈んだぼくは、うずくまったままテンカウントを聞いた。
それが合図だった。
ぼくが旅に出たのは、その三日後である。
チャンピオンベルト再び その2
あの日から1年が過ぎていた。
まさか、再びこれを手にするとは思いもしなかった。
しかし、その日は再び訪れたのである。
ぼくは納戸の奥から白く輝くベルトを取り出し、腰に巻いた。
その瞬間、割れんばかりの歓声が湧きあがり、あたりは熱気に包まれた。
ぼくはそれに応え、力強く胸を張り、ガッツポーズをとった。
だが、もちろんそれは幻影であった。
ぼくは静かに納戸の扉を閉めた。
自動操縦な一日

側面に沿ってナイフを入れたフランスパンの切り口にリエットを厚く塗りつけ、レタスとトマト、そしてキュウリをはさむ。それを三つに切り分け、ラップで包む。ポットに詰めるコーヒーは、最近お気に入りのゴールデン・ビートル。さあ、どこに行こう。でも、今日は考えないことにした。とにかく車に乗り、エンジンをかける。そしてぼくは頭の中のA.Cボタンをオンにする。A.Cとはオートクルーズの略。つまり、なにも考えなくても体が自動的に車を操縦し、昼食を食べるのに良さそうな場所にぼくを運んでくれるのだ。やがて気がつくと、車は指宿スカイライン沿線の千貫平自然公園の駐車場で止まっていた。

ぼくは車を降り、坂を上って公園の奥にある展望台に向かった。だれもいない。ぼくはテーブルクロスを広げてパンを載せ、熱いコーヒーを入れた。遠くで海が輝いている。いい眺めだ。ぼくはのんびりとコーヒーを飲みながら、パンを二個平らげた。あと一個は、次の場所で食べることにしよう。
再び車に乗り込み、A.Cボタンをオンにする。車は勝手にどこかへと走り出した。どうせ海にいくのだろう、と思っていると、車は思いがけず右折し、だだっ広い畑の中に入っていった。

そこは扇風機の町であった。どこまで走っても扇風機が立っている。

車は帰路に就いたようだった。バックミラーに夕日が映っている。車は茶工場の横で停止した。

茶工場と乱立する扇風機の柱が切り絵のようだ。ぼくは熱いコーヒーを飲みながら、暮れなずむ空を眺めていた。

やがて、月がくっきり浮かんできた。
木金月
わたしたちは皆、触れることで生きている
植島啓司さんのコラムを読んでいて、次の文章に感銘を受けた。
生はとても優しく、静かで、捕まえることができない。力づくでは手に入らない。力づくでものにしようとすれば、生は消えてしまう。生を捕まえようとしても、塵しか残らない。支配しようとしても、愚か者の引きつり笑いをする自分の姿が見えるだけ。生を欲するのなら、生に向かって、木の下にやすらぐ鹿の親子に近づくように、そっと、歩を進めなくてはいけない。身振りの荒さ、我意の乱暴な主張が少しでもあると、生は逃げていってしまい、また探さなくてはならなくなる。そっと、優しく、かぎりなく繊細な手と足で、我意をもたない自由で大きな心で、生にまた近づいていって初めて、生と触れあえる。花はひったくろうと手をのばすだけで、人生から永遠に消えてしまう。我意と貪欲に満ちた気持で他人に近づいてゆくと、手の中に掴むのは棘だらけの悪魔で、残るのは毒の痛みばかり。
しかし、静かに、我意を捨て、深い本当の自己の充溢とともに他人に近づくことができる。人生で最上の繊細さを、触れあいを知ることができる。足が地面に触れ、指が木に、生き物に触れ、手と胸が触れ、体全体が体全体と触れる。そして、燃える愛の相互貫入。それこそが生。わたしたちは皆、触れることで生きている。
これはD・H・ロレンス「チャタレー夫人の恋人」第2稿の一節、だそうです。ぼくは比較的、長い時間生きているけど、今つくづく思うのは、この文章にあるようなこと。ぼくが日々足を棒にして探しているものは、遠い異郷にあるようなものではないのです。
スーパーナチュラルごま塩おにぎり
もやもや
原風景

数日前、田口ランディさんのブログを読んでたら、
“ DVDで「西の魔女が死んだ」を観た ”
という記事があって、その終わりのほうに、
この映画を観ると、イギリス人のおばあちゃんがほしくなる。
あんなすてきなおばあちゃんがほしい、と私でも思う。
うちにも九十歳のばあちゃんがいるが、魔女というよりもヨーダ。
ま、これが現実だよな?。
とあり、かなりうけた。
ぼくは「西の魔女が死んだ」の映画もDVDもみてないけど、本は読んだ。そして、ランディさんの言うとおり、イギリス人のおばあちゃんがほしくなった。
ぼくの原風景が噴水のあるハーブ園であり、そしてぼくはいつもその噴水の周りをぐるぐる回っている。いつか、噴水のあるハーブ園を持つことが夢だった。
夕方、お客様がその友達の霊能者を連れて店にいらっしゃった。店にいた数名のお客様が彼の透視力?で見てもらい、あまりに具体的に言い当てるので驚いていた。閉店時間が過ぎてお客様が帰られたあと、この次いらっしゃるときに、ぼくも見てくださいね、と彼にいうと、よかったら今見てみましょうか? というので、見てもらった。ぼくしか知らない、いくつかのことを彼は言い当て、そして彼の頭に浮かんだぼく(本来)のイメージを話してくれた。それはハーブ園で土いじりをしているぼくだった。
眠れない夜
ぼくはかぜをひいている。
かぜをひいてるときは、眠るのが一番だ。
ぼくはふとんの中で、眠くなるのを待った。
それは、海辺にたたずみ、潮が満ちてくるのを待っている。
そんなイメージだ。
でも、いっこうに潮は満ちてこない。
潮騒は聞こえる。
聞こえるどころか、頭の中で渦を巻いている。





